決して心を変えないようにしよう
ビックたちよ、他の者たちが君たちに、ふさわしいときに、あるいはふさわしくないときに語るであろう。
真実によって、あるいは偽って語るであろう。
柔和に,あるいは乱暴に語るであろう。
利益を伴って,あるいは利益を伴わずに語るであろう。
慈愛の心をもち、あるいは怒りの心を持って語るであろう。
そこでも、いいかね、ビックたちよ。きみたちは次のように学ぶべきである。すなわち、我々の心を決して変えないようにしよう。
悪い言葉を吐かないようにしよう。
また、相手を思いやり、慈愛の心を持ち、怒りの心を持たないようにしよう。
そして、その人に対する慈悲の思いで満たそう。
また慈愛の対象である一切の世界を、広く、大きく、無限で、恨みなく、怒りのない慈悲の思いで満たそう、と。
ビックたちよ、まさにこのように、君たちは学ぶべきである。
仏陀釈迦牟尼
ヨガスクールカイラス発行『松川慧照エッセイ集』より
常に与える
常に与える側の人間としてある。
他者に安らぎをあたえたい。自分の安らぎなどどうでもいい。しかも私には神の安らぎがあるではないか。
すべての他者を心から愛したい。私は愛を求めない。神の愛さえあれば十分。
すべての他者に善きものを与えたい。
そのために日々慈悲を高め、他者の幸せのために修行し、経験をつもう。
与えても喜ばれないかもしれない、適切に与えられないかもしれない、だからもっと他者に利益をもたらすことができるように日々経験をつもう。日々良い心をつくろう。日々徳を積もう。
心からの慈悲によって与えよう。
すべては他者に与えるために、神によって与えられていることを私が忘れませんように。
ギブアンドテイクではなく、ひたすらにギブ!
幸せになるには
すべて存在は幸福を求めて生きています。
真に幸福になるには、心が平安で幸せである必要があります。
ここで言っている幸せは,何かを得て幸せという物質や環境などの条件よる観念的で相対的な一時の幸せではありません。
本質的で絶対的な幸福。そのような幸せを得るには、慈悲の心を育まなければなりません。
自分さえよければいいという心では決して幸せにはなれません。他者の幸福を願い、自分よりも他者の幸福を優先させるように心を変えていくならば、その優しい清らかな心が自己の心をいつも平安にし、いつも他者への思いやりにより笑顔になり、言葉も行いも自然と他者を和ませるでしょう。皆がそのように心がければ、世界はもっと平和になり、人々は幸せになるでしょう。
すべての他者を大切におもうことにより、世界は自分の大事な人で溢れるのです。それはそれは幸せですね。
私たちは自分を大事にする利己的な思いをみんな当たり前に持っています。この当たり前が間違っていると気づき、日々自分よりも他者の利益を思い、自分よりも他者の幸福を願うことを心に馴染ませ、できる限り根付かせておきましょう。
そうすれば、自分が害されたと思うようなことがあっても怒りが出ず、平静な心を保つことが出来ます。
慈悲心、利他心がしっかり育まれ、内なる心に平和が維持されていれば、外界でどのようなことがおきたとしても心が掻き乱されるようなことはなくなるでしょう。
よって日頃から心に思いやり、利他に心を育てていきましょう。大きく育ってしまった自利の思いを引き抜いて。
そのようにすれば幸せになります。カルマが良くなるので、環境や物質面でも幸せになるでしょう。
立ち上がれ
“すべての力はあなたの内にある。あなたにできないことはない。
これを信じなさい。自分は弱いなどということを信じるな。
立ち上がれ。自分の内にある神性をあらわせ。”
“存在のすべての秘密は,恐れがないということである。
自分がどうなるかなど、絶対に恐れるな”
スワミ・ヴィヴェーカナンダ
言葉のカルマ
カルマ(行為)は身・口・意においてなしています。
私たちは心と言葉と行いにおいて常に行為をし、なんらかのカルマを積んでいます。このカルマが因となり果報を得ます。人生で体験することは全てこの因果によります。善いカルマによって良いことがあり、悪いカルマによってわるいことがあります。
身口意のうち、口のカルマについて、言葉のカルマについてを意識して取組んでみることは大変価値があります。言葉は気づきやすく取り組みやすいですが、結構キツイ言葉をいったりして自己の習性により悪業(悪いカルマ)を積んでたりします。
以下のようなことをチェックして言葉を正しくしていくことが、自分にも他者にも大変有益となるでしょう。
嘘をつかない。真実を語り、正直で、世間を欺かない。人のことを悪わない。ま人と人とを不仲にさせるようなことをいわない。人と人とが喜び和合する言葉を使う。乱暴な言葉で相手を罵らない。みんなに喜ばれる優しい言葉を使う。つまらない冗談などを言わない。その場に適したことを話し、実際のことを語り、道理や教法を比喩をまじえながら、相手にわかりやすく話す。
厳しく言えば、修行者は上記に加えて、愚痴を言わず、批判せず、煩悩的な会話や意味のない話もせず、一切の無駄話をやめて言葉を慎み、神や真理の話だけをするのが理想です。
自分に当てはめて、変えれるところを変えていく努力をしよう。