気づきから実践へ
日々接する人たちの中で一部人たちは朧気ながらも真理を理解してきている。
そして気づきを持って自分に当てはめることも出来ている。
私自身にも言えるが、気づきで終わらずに実践を続け結果を出すことが何よりも大切だ。物質的なことでは実践して結果を出せる人は多いが、なぜ自分の心を変革するのはよほどのことがない限りしようとしないし出来ないのだ。
私たちはみな大いなる光であり、その光に気づけないのは心の曇りゆえだ。
ものの感じ方の透明さを妨げる判断・批判という不純物を取り去ろう。
ハートを流れる愛を妨げる競争心・妬み・貪欲を取り去ろう。
自分に不足があるという思い
悲しみ、恐れ、感情の闇、
それらすべてに意識の光を当てよう。
神の愛でかみの光で包もう。
修正できないものなんてないし、間違いなんてない
経験があるだけ
その経験を通して純粋な光に戻っていこう
本当に光があるだけなんだ。
光一元、すべては光だと知ってそのようにみてごらん
自分も人も全てが光だって。
すべては神、すべては愛
すべては愛、すべては神
この宇宙には愛しかないし神しかいない
これが真実だとわかっていても、常にその知覚にいないのならば、その究極の真実を生きていないのなら、それを実現することにすべてを注げ
神しかいないし、愛しかない
それしかないんだったらそれを体現するしかないし
それ以外に重要なことがあるだろうか
もし人生でこれが大事というものがあったとしても、先に真我実現、神実現を果たしてから人生を生きればいい
では実現するための実習は
ひたすらに神を思うことだ
神の愛を生きることだ
ただそれだけ
今この時の光を
今この時の光を感じていますか?
いつも、いま、ここに大いなる光があります。
わからなくても、過去も未来も忘れてただいまこの時にくつろいで、神(大いなるもの)に心を開いて、全てが神の内側であり私と神は一体だと知ろう。
そのように張り詰めた心でいる必要はないのだから。
過去も未来も真実には存在しない、いまこの時にはーとの光を輝かせて光としてあれ。
愛を放射せよ
神は私たちの源であり、神は愛である。
私たちは神の内側で生きていて、愛であり、あらゆるものと調和している。
それを忘れた時に、この世に様々な問題を見つけて葛藤する。
ただ愛であればいい。
何も思考せずに胸の内に流れる神の愛を外側に流していけばいい。
愛一元、その一元の愛から生きていよう。
与える喜び
エゴはいつも何が自分の得になるかを考えている。
それで私たちはだいたい何かを選択するときに自分がそれによって何を得れるかを自然と考えている。
これを「何を得れるか」でなく「何を与えることができるか」を考えてみたらどうだろう。これが自我のあり方から真我のあり方からを選んでいくことになる。
そしていつも自分が何を得れるかを気にするのではなく、自分が人に何を与えられるかを思うことは私をときめかせてくれる。