無限の幸せ
他者の幸せが幸せ
他者の悦びが喜び
他者の苦しみが苦しみ
これが本当の私たち・・・
そこからだいぶズレてしまって
自分の幸せを一番に考えるように、自分のこと、自分の利益を一番に考えるようになってしまった。
もっとひどい場合自分のことしか考えないようになっている。
とんでもなく落ちてしまったものです。
そんな状態にようやく気づき、危機感をもち、自分のことは考えず他者の利益を他者の幸せをいつも考えるように意識し出した。
長い長い間の習性である“自分のことを第一に考える”を何としても超えて行こう。そうでなければ私が真に幸福にはなれないのだから・・・。
出来る限りこのように生きていると幸せや喜びが何とたくさんあることか、人の幸せが全部私の幸せ・・・
まさに幸せがいっぱいです。
自分の幸せは限りがあるが、みんなの幸せが自分の幸せになった時、幸せは無限にある。
その分苦しみもいっぱいあるが、人の苦しみをただ一緒になって苦しむのではなく、どうやったら苦しみがなくなるかを自分のことのように真剣に考える。他者の利益や幸福のために尽くす。そうしたらまた幸せが増えます。
そんなふうに生きていると神様からも守り助けて頂き、やっぱり幸せなわけです。
そして増々頑張れるし、本当もっと頑張りたい!
みんなのために。
花のように
決して過去に心を残さない。
一瞬前にも心を残さない。
常に新鮮な意識で世界をみる。
わざわざ過去を回想しない。リピートしない。
もちろん、自分の心を高みに向けて鼓舞するような、神聖な意識や教えは、ひたすらリピートする。
その新鮮な心の土台の上で。
その上で次に起こることはすべてお任せ。
この人生すべてが、神への供物。捧げもの。
野に咲く花のように。
風に吹かれても人に踏まれてもただ捧げものとしての人生を気高く生きる。
ヨーガスクール・カイラス発行 『松川慧照エッセイ集9』より
少なくともかなり
他者の批判をやめる。
他者のアラ探しをやめる。
他者を傷つけることをやめる。
他者への攻撃をやめる。
すべての他者に幸福を与える。
自分が批判や攻撃されたり、誤解されたりすることを、カルマの浄化として喜ぶ。
自分(エゴ)を守らない。
自分(エゴ)を傷つけられることを恐れず、エゴの破壊のチャンスと受け取り、教えによって苦しみをい昇華する機会とする。
自分を守るために言い訳をしない。
自分を守るために他者を否定しない。
ただひたすら、理想を追求する。
常に心を、広大なる、心髄なるものに置き続ける。
そこには笑顔があり、歓喜がある、あの場所へ、心を置き続ける。
人々は無責任に様々なことを言う。
ただ神やブッダが分かってくれればいいと考え、
逆にいえば神やブッダの意に沿うように、正しい思い・言葉・行為を保つ。
ただひたすら、理想通り生きる。
このようにするならば、
少なくともかなり幸せになるでしょう。
ヨーガスクール・カイラス発行 『松川慧照エッセイ集10』より
幸福を与える幸福
人にとっての幸福というのは、
他者を幸福にすることだと思う。
本当に他者が喜んだり、
成長したり
真の幸福をつかんでいく
そのために生きるのが
最高の幸福
そうじゃないという人もいるかもいしれないけど
他者が幸福になるのは嫌いだという人もいるかもしれないけど
それはたぶん、相当錯覚に陥っているだけで
本当のところは、誰もが
みなの幸福を願っていると思うんだ
錯覚の上に錯覚を重ねるから
愛というものも執着になり
慈善といっても偽善になってしまう
だからそれらを解くには多くの修行が必要だけど
最後の答えだけをいってしまえば
他者に幸福を与えることこそ、最高の幸福
それが我々の心の本音だと思う
ヨーガスクール・カイラス発行 松川慧照エッセイ集2より
被害や苦痛を受けたとき
誰かから何らかの被害や苦痛を受けたとき
それを自己の心の成長の糧として喜ぼう。
その苦悩から積極的に何かを学ぶようにしよう。
そして、悪しきカルマが浄化されたのだと喜ぼう。
何とかして、その苦痛や被害を自己の成長や進化につなげるのだ。
(松川慧照エッセイ集より)
自分の心乱される出来事、自分を苦しめる存在ほど有難い存在ですよ。それこそが逞しくしてくれ成長させてくれ、結果もっと幸せにしてくれます。苦難に出会うことこそが人生の価値です。だた真に価値あるものに出来るかは自分次第!根性の見せどころです。聖なる意識で生きようと努力しているのなら怖いものはないはずです。
人生は過去のカルマ(過去に自分が為した行為)の結果です。苦しみに会うのは過去(過去生を含む)に誰かを苦しめたからです。それが返ってきた・・・そして過去の悪いカルマ(悪業)が一つ消えたわけです。この悪業が多いと心も安定せず幸福感をえにくいので、悪業が消えることは喜ぶべきことなのです。ただみんなこの法則を知らないので、悪業を消してくれた相手を恨んだり攻撃したり、また批判したりしてさらなる悪しきカルマを作ってしまいます。カルマ(行為)は心においての行為も含むので気をつけなければなりません。
また自分で未来の苦しみを増やしてはいないでしょうか・・・。
カルマが浄化されたといういいことだけでなく、苦しみの経験からはたくさんのギフトがあります。
許しの実践、寛容な心、忍辱の実践(苦しみに耐える強い心)、無執着、人の痛みを理解する心・・・
これらを養い、もっと優しいもっと強い自分になれるはず。
そして周りの人々を幸せにできるようなり、自分ももちろん幸せになります。
苦難に出会うのは嫌かもしれない、でも恐怖しないで大丈夫、それさえも神の恩寵であり、愛なだから。
だからこちらも愛によって乗り越える。
愛によって。