カルマの法則
人の体、言葉、心からなる三つの行為(カルマ)のすべてにはその結果である果報がが生じる。
因果応報……原因のない結果はなく、結果のない原因もない。
善因善果、悪因悪果。
ならば人々に対し悪をなさず、出来る限り善をなそう。
心において、言葉において、行動において。
心一番が大切だ。
謙虚な心で
無私の思いで、謙虚に、世のため人のために
自分の出来ることをさせて頂く。
これを宇宙が、神が望んでおられる。
そのために私は創られたのだ。
エゴのために生きるなら生まれてきた意味がないではないか。
この輪廻転生、魂の永遠性において魂を曇らせないように、
己の慢心や欲に気づき、反省し、
本来の神の子としての輝く心を持ち、維持出来るように。
私たちの心はいつも神にはお見通し、見られても恥ずかしくない心でいたいのもの。
日々自分の心と行いを見て反省しよう。
これによって自己のカルマの浄化も進むだろう。
知足
老師はいいます「足るを知るの足りるは常の足りるなり」
つまり、知足とは、何かや物を得て満足することではなく、あるがままの現実に満足を見出すことなんですね。
この欲界で欲を満たして満足する、満たされないと苦悩し、欲ゆえに他者を攻撃し争う。
足るを知るこそが、永遠の満足であり、永遠の平安である。
愛,喜び、光の意識へ
「私の心は喜びで満たされている。私は神の喜びを反射する存在だ」
「私の心は光で満たされている。私は神の光を反射する存在だ」
「私の心は愛で満たされている。私は神の愛を反射する存在だ」
これらの祈りをどれかひとつでもいいので積み重ねよう。
日々、毎時1回とか、出来るだけ。続けていれば祈りが自分を助けてくれるのを実感できるだろう。
愛に意識を集中させて生きていれば、すべての関わりあいのなかで愛が生じる。
喜びに意識を集中させて生きていれば、すべての関わりあいの中で喜びが生じる。
光に意識を集中させて生きていれば、すべての関わりあいの中で光が生じる。
全部同じこと、シンプルだしそれしかない、だが本当にそう生きてるかどうかがカギだ。
戦わない
現代はカリユガ、仏教では悪世とも言われる時代、自分の利益だけを思い
他者を苦しめる無知な衆生が多い。
よってこの時代こそ心の訓練、修行にはよい環境である。
何があっても、どんな人でも、批判しない、責めない、戦わないない。
心において、言葉において、行いにおいて。
悪に対して無理矢理に抵抗しない。妨害に対してもも無理矢理たたかわないで、苦しみに耐えて戦うことをしない。大きな海のように平然として耐え忍んでいよう。真理を生きていれば、愛を生きていれば、必ず道は開かれる。
愛によって選択するとき、間違いはない。
抵抗や戦いの思いが生じているときは、愛によってではなく恐れによって見ているのだから。