天地いっぱいに光いっぱい
私たちはこの天地いっぱいの愛の中にいる
いつもすでに光の中に愛の中にいる
いまここに光だけがある
今日は朝から台風とともに私の中にも台風が来て去っていった。久しぶりに娘を叱って、怒りや不満が立ち上がってきた。“キレる“という状態・・・物にあたってしまうのを回避すべく噴き上がる怒りのエネルギーをマントラを唱えつつ腹筋をして解放。正気に戻る。怖れから愛へ。自我から真我へ。闇から光へ。
この世界は光いっぱいなのに、不満は自分の中から闇をつくって光が見えなくなってしまう。不満ってこれは嫌だっていって、起こることを否定していまここを拒否してるんだなあと、身を持って気づく。
嵐が去ったらやっぱり光いっぱい愛いっぱいの宇宙だった。
威儀即仏法
日常生活のすべての行いはすべて仏の道に通じる。
ひとつひとつを丁寧に、一瞬一瞬を大切に生きる・・・
私は何でもいい加減なのでなかなか丁寧にはできないのだが、
何にもとらわれない素直な心でいる、余計なものを差し挟まずに行う。
うまくやろうとか、早くやろうとか、めんどくさいなとか、疲れたなとか・・・・
いまここに、シンプルに、ワンネスに。
とらわれのない素直な心は、自我の考えや思い込みを超えた心の奥に常にある。
安心して、リラックスして、寛いでるときの心・・・
その心で気づきをもって食べて飲んで動いていたら、それが瞑想。
そこにカルマが動いていても影響を受けていない。
いまここに、シンプルに、ワンネスに・・・
赦しの機会
昨日は大きな癒しの日でした。意識がシフトしてまた見える世界が微妙に変わって来ています。気づきや意識のシフト、悟り、本質に関わることって言葉にするとどこか違う気がして、最近は書き記すこともなくなってきた。時々お客様からこのブログが役に立っているとのお言葉をいただくので、ぼちぼち書き記そうとは思うのだが……
世界は情報であふれているし情報を記しても意味はない、みなが真の幸せに気づく、それぞれが本質に立ち返る役に立てればと思うが、それも神お任せで私を通して神がされるのをエゴが邪魔しないように在るがままで在ればいい。
さて、今朝も琵琶湖がキラキラと美しく、空も緑もすべてが輝いている中で朝買い物に寄ったスーパーでのこと、空いているレジに向かって歩みよった時に横から恰幅のある女性に押しのけられ立ち塞がれた、女性はわたしの行くてを塞いだまま買い物カゴを持った連れの男性をレジへと導いた。
一瞬、ただ唖然。その次、怒り不満苛立等のフィーリング。その次、別に構わないじゃないかと。
私は買い物を済ませながら、まだ私の中に相手を裁く思いがあることに気づき、相手が赦しの機会を与えてくれたことに深く感謝し、自我が悪きものとして見ているその人の面を通り越してその人の中の光をみれるようにと心から祈った。涙が溢れて胸がスッキリした。
今日はいつになく具体的な出来事を書いてしまったが、このように全ての存在がすべての出来事が私たちの癒しの機会を与えてくれている。すべての日常を使って唯一の実存であるじこの本質に気づくんだ。
光の柱
私はこの瞬間、大地のエネルギーと深く繋がっています。
(意識を地球の中心まで降ろして地球とつながります)
私のハートは今、開かれています。
(胸の中心に眩しい光をイメージします)
私は光の柱となり、上へ上へと意識を上昇させます。
(上下に伸びる美しい光の柱をイメージし、その光の中で今この瞬間に全てが浄化されるのみます)
毎日のスキマ時間にできる実践です
生命即神
身体のことは身体自身に聞いて、それに従いなさい
生命即神である
断食は食を断つことで体を清浄にする
瞑想は念を断つことで心を清浄にする