正念正智
すべては自分の心が作っている。人生に生じる現象も、この世界も。
すべての苦悩は間違った観念、概念、汚れた心がもたらしているにすぎない。
よって心をよい思いで満たさなければならない。
そのためには正念正智。
24時間一瞬一瞬常に良い心を保ち続ける。(正念)
そしてちゃんとそれが出来ているか常にチェックし続ける。(正智)
良い心とは、四無量心、他者への慈悲、慈愛で溢れていること。
今の自分が心に穢れを有しているからこそ正念正智をしっかりと実践しつづけなければならない。
ありったけの愛
心の本性は広大無辺な純粋な愛、これだけが真の実在でありわたしの本性へである。
これが私と思っている私は過去のカルマの集積であり、過去の経験から出来た後天的なものである。よってその愛も見返りを求める愛であったり、限定的である。
それでも、精一杯エゴを捨てて心を広げ、ありったけの愛で生きよう。
いつもありったけの愛を人に与えよう。どんな時もありったけの愛を与えて続けよう。
そのように生きていればいつか真の純粋な愛にかわるだろう。
母なる衆生
私たちは無数の輪廻転生を繰り返している。その無数の生涯の育ててくれた母がおり、助けてくれた恩人がいる。この人生で今目の前にいる人がいずれかの過去生で自分の母や恩人であったかもしれない。
そのようにみるこで、すべての衆生が大切な存在であり恩を返すべき存在であり、自分自身よりも彼らが幸福であることを願う。ただ一人の例外もなく自分以外のすべての存在の幸福を願う。
このように心を訓練する。日々のいろんな現象よ人間関係の中で自我を落とし、純粋な慈悲に満ちた心に作りかえる。それのみが重要なことであり、それによってしか真に幸福にはなれない。
如意宝珠にもまさるすべての衆生の最高の幸福を実現しようとの決意をもって、いつも彼女たち(母なる衆生)を慈しむことを学べますように。
“心を訓練するための八つの詩”より
強い心をもつ
苦しみがやってきた時、苦手なことがやってきた時、自分の悪き性質が出てきた時、習性にながされそうになった時、弱気になるな。
それは自分を強くするよい機会、心を強くもつ。
カルマの悪さがなんだ
悪き習性がなんだ
そんなものは心の強さで乗り切れ。
心の弱さがあると、「もうだめだ、ムリだー」となる。弱さでごまかしてはいけない。逃げてはいけない。強い心で立ち上がれ、立ち向かえ。
今弱ければ強くなればいい。強くなれる。
背後には神がいてくださる。神のしもべとしての純粋な誇りと愛があればどんなことも平気ではないか。
それしかない
それしかないと気づいてしまったのに、それしかないとわかっているのに
それ以外のものに心が向く。カルマや習性によって、煩悩によって、世俗の儚い喜びを求めてしまう。
神に熱意をむける。神しかいない。それのみが絶対的な価値あるもの。というかそれのが実体があり他は
幻影である。唯一の実体である 無限であり 永遠である神を求める。
神以外のものを求めない、それしかないという心の状態になるために日々の修行がある。
それしかないという状態はまさに至福だ。
その至福をキープし続け、神の下僕として他者の幸福のために働け。
見方をかえれば、この世界は神しかなく他者も神なのだから。