心を超えていく
心ころころ……
心は常に成長を続けているようでも、いろんな場面で不満に思ったり、恐れたり、怒ったり、悲しんだり、たえず揺れ動く。時には心の状態は悪化して体にまで影響します。
ネガティブな心の動きだけではない。好きになったり、何かを強く求めたり、いろんなことに忙しく心が休まらないのです。でもそうやって絶えず動きまわるのが心の特性なのでは………
どんな心も否定することなく、理解し、感謝し、受け入れて、心のさらに奥にある揺れない存在、真の自己、真我、内なる神にフォーカスしよう。
それはいつもそこにあるのに、本当はそれしかないのに、私たちは違うものを見ているだけ。
真我であり、愛であり、神である自分を選ぼう。
苦悩を通して
苦悩は人生に様々なかたちで現れる。肉体的な苦痛や精神的な苦痛、病や怪我,人間関係など。それらすべての原因は現在であれ、過去世であれ自分自身がつくったのだ。カルマ、過去の自分自身の行為の結果に他ならない。
そして苦しみは神が愛によって与えてくださった浄化と魂の成長の機会。
だったら「このような苦悩を与えて、我が魂を救われる神よ、ありがとうございます。わたしを救ってくださるこの病よ、ありがとう。」と感謝しよう。
そのようにして、人は強くなり、優しくなり、輝くことができる。
与えられたもの
私たちは与えられたもので十分に幸せに生きていけるのです。
神によって知恵が与えられ、命を与えられ、愛と光と生きる力を絶えず頂いているのです。
私たちは皆、神から生まれた尊い存在です。そして常に神の力で守られていて、神の愛で満たされているのです。
そのことを信頼して生きることを始めると安心して生きられます。幸せに生きられます。そして神の愛に気づきます。神の愛の中で、自分の内側深くを清めていって、真の自己も神でだったと気づきます。
あるがままで愛されている
あるがままの自分でよいのです。
あなたはあるがままでよいのです。
何も考えなくて、無心でよいのです。
何かしようとしなくてもよいのです。
心配しなくてもよいのです。
気を使いすぎてもいけません。広々とした外をみましょう。
何がいけないということはないのです。
自分を愛します。
体を愛します。
心を愛します。
そして何よりも、あなたをいかしてくれている神を愛するのです。
この神が守ってくれることを信じます。
自分を信じます。
あなたは一生懸命何か行っています。それは素晴らしいことです。そのことをどんどんやっていくのです。
自分を褒めるのです。抱きしめて上げるのです。
ここに神がいます。あなたを守る存在がいます。
あなたは一人ではないのです。常にあなたを守っています。大丈夫です。あなたを愛しています。
ヨグマタ 相川圭子
自分自身の祓清め
日々の波動変容の影響で様々な浄化がおこっていろのが感じられます。
体調が優れなかったり、低波動の感情が出てきたり・・・
どんな時も、何があっても、いつも瞬間瞬間自分を自分本来の高い波動に合わせ続ける。
高い波動とは、心が清く純粋であること。
心を清らかに保つこと、これは何を思うかです。
不満や不足を思うのではなく、喜びや感謝を思うこと、
また、心を自分のハートにおいて常にハートにある愛を感じる、
これらが心を清くする実践だ。
何を思うかが重要なのならば、神を思えばいい、心を神に向け、心を神に合わせようとすることが心を清くする。
自分のハートに合わせるのも神に合わせるのも同じことだが、ハートが
開いていないうちは神に合わせるのがいい。
神への愛と信をもって。
そうする穢れがとれ、自分がずっと神の至福の中にあったことに気づくでしょう。
魂(真我)は永遠に神の至福の中にあるのに、それを自覚できないだけ。
魂は穢れません、心についた穢れ、様々な想念が、神の愛の中にあり続ける真我を自覚できなくしているのです。
日々祓清めです。すべてを愛して、すべてに感謝して。