自我の壁
私たちは多くの場合に自我のフィルターで現実をみている。
それぞれの人がその人のものの見方によって、ただ起こっている出来事にフィルターがかかり全く違ってみえている。あるがままをみることができない。
この自我のフィルターが剥がれたとき、世界はありのままに美しい。
その美しさに気づく時、自我の私はいない。
自我の壁が光を見えなくしていたんだ。
この次元にいまここに高次元も重なって存在している。でも自我の障壁となって高次元を隠しているだけ。自我の壁が外れるといまここに高次元が現れる。
いまここに至福である。
私の中の神
“「内なる神」が私の中で働いている“
この自覚を保って生活しなさい
感謝する
今日は感謝することにしよう。
頭を使わないで、すべてのこと、すべての存在を愛と感謝の中で喜ぼう。
いのちに感謝しよう。この世界は丸ごといのち、天地自然も生き物も空気も風もすべて丸ごといのちでいのちの循環、そして私たちはその一部なんだ。すべてに感謝し、喜びの感覚を想い出そう。
この「いのち」は「無条件の愛」であり、神の愛であり、この愛の中にいまもいままでもずっといたということ、私は一度も見捨てられなかったということ、この神の愛は永遠に私の上に輝き続けるということを知り、感謝しよう。
そして私たちが永遠無限の愛、いのち、光だということに感謝しよう。
すでに救われているということに感謝しよう。
天地いっぱいに光いっぱい
私たちはこの天地いっぱいの愛の中にいる
いつもすでに光の中に愛の中にいる
いまここに光だけがある
今日は朝から台風とともに私の中にも台風が来て去っていった。久しぶりに娘を叱って、怒りや不満が立ち上がってきた。“キレる“という状態・・・物にあたってしまうのを回避すべく噴き上がる怒りのエネルギーをマントラを唱えつつ腹筋をして解放。正気に戻る。怖れから愛へ。自我から真我へ。闇から光へ。
この世界は光いっぱいなのに、不満は自分の中から闇をつくって光が見えなくなってしまう。不満ってこれは嫌だっていって、起こることを否定していまここを拒否してるんだなあと、身を持って気づく。
嵐が去ったらやっぱり光いっぱい愛いっぱいの宇宙だった。
威儀即仏法
日常生活のすべての行いはすべて仏の道に通じる。
ひとつひとつを丁寧に、一瞬一瞬を大切に生きる・・・
私は何でもいい加減なのでなかなか丁寧にはできないのだが、
何にもとらわれない素直な心でいる、余計なものを差し挟まずに行う。
うまくやろうとか、早くやろうとか、めんどくさいなとか、疲れたなとか・・・・
いまここに、シンプルに、ワンネスに。
とらわれのない素直な心は、自我の考えや思い込みを超えた心の奥に常にある。
安心して、リラックスして、寛いでるときの心・・・
その心で気づきをもって食べて飲んで動いていたら、それが瞑想。
そこにカルマが動いていても影響を受けていない。
いまここに、シンプルに、ワンネスに・・・