真の幸福
人の生き方はそれぞれ、みな、仕事や家庭、学問や芸術、スポーツ、様々な趣味などに情熱を傾けて充実した人生を生きているようにみえます。様々ことに心と体を忙しくして一生懸命生きている。心と感覚の喜びを楽しみ、それを幸せとして生きている。でもそのような喜びや楽しみは一瞬のものであり、執着が増し、エネルギーを消耗する。世俗の幸福を求めて生きることで実は心が曇ってしまうのではなでしょうか。世俗での豊かさは無常です、変化し、いずれは消えていきます。地位も名誉も財産も家族も、死のときにはすべて失います。また無常の中で安定を求める心は深い部分では平和がなく不安です。
真の幸福は外側にはなく、内側にあります。自分の内側に永遠の喜びがある。
私は日々そこに向かって旅をしている。無限愛と無限の喜びが湧く聖なる場所・・・
その場所に常にいて、その源の愛ですべてを愛し世界に愛が増えるように心と体を使っていきたい。そしてみながその聖なる場所に辿り着く助けとなりたい。
外側には何もないよ。
旅をするとか、辿り着くとか表現したけど、ほんとはすでにそうなんだ。
だがそれに気づく必要があるだ。
愛の化身として
愛は循環し、未来永劫に、永遠に流れ続けていく。
愛なくしてはいかなる者たちも幸せにはなれず、愛そのものの奔流の、枝分かれした自分自身が、神の子であり、愛の化身であるということに気づいたのなら、自分を愛するように、他者を身の回りの者たちを、地球の生きとし生けるすべての者たちを愛していく。その姿が当たり前になってくるはずなのです。その時にはいかなる差別も、悲しみも、苦しみも消えていくのです。自然に消えていくのです。
イエス・キリスト レムリアルネッサンスより
本当の自分
本当の自分、本来の自己、魂、真我………
いろんな言い方をしますがそれが何かは説明できるものではない。
自分でそれに出会ったとき、知ることができる。
ヨーガで言えば、サット チット アーナンダ 純粋 意識 至福
誰もが内側に愛そのもの、至福そのものの本当の自分がいる。それは純粋な存在であり大いなる神からわかれた神の子、それは神の分身のように神の無限愛、無限の光を湛えている。その存在にただ帰りたい。日々心が揺れる様々な機会は帰ることを忘れてしまってたことを思い出させてくれて帰る選択を思い出させてくれる。
人生のすべてがありがたいんだ。
逆境はない
逆境などというのは、本来なし。自ら行ったことの結果が今、起きているだけである。高き思いの中に神を信じ、神の本来の、神の子としての自らを信じ、明るい未来を信じ続けるのならば、必ずやそのような未来は自らのもとにやってくるであろう。それが、原因があり結果があるという、その法則のもとに行われた、この当たり前の現実世界の具現化である。それをもって光一元であり、光明思想と呼ぶ。
谷口雅治 レムリアルネッサンス霊言より
Yesにする
苦しみはすべて自我ゆえ。
だったら自我を辞めればいいのだが、自我は抵抗と執着でマインドに居座る。
じゃあ自我がNOと言っているものひとつひとつにYESと言おう。
過去の過ちやいたらない部分、自分にも他者にもOKを出そう。
あらゆるNOをYESにかえよう。そうやってるといかに多くNOを出していたかに気づける。これでは自分がしんどいよね。
本当はすべてを愛したい、愛せなくてもまずOKをだして、NOをYESにかえよう。
抵抗するのではなく、闘うのではなく、理解し受け入れよう。歓迎し、感謝し、抱きしめれればさらにいい。
自分とすべてを愛そう。
真我は無限の愛なのだから、真の私は愛することしかできないはずだ。