赦しの機会
昨日は大きな癒しの日でした。意識がシフトしてまた見える世界が微妙に変わって来ています。気づきや意識のシフト、悟り、本質に関わることって言葉にするとどこか違う気がして、最近は書き記すこともなくなってきた。時々お客様からこのブログが役に立っているとのお言葉をいただくので、ぼちぼち書き記そうとは思うのだが……
世界は情報であふれているし情報を記しても意味はない、みなが真の幸せに気づく、それぞれが本質に立ち返る役に立てればと思うが、それも神お任せで私を通して神がされるのをエゴが邪魔しないように在るがままで在ればいい。
さて、今朝も琵琶湖がキラキラと美しく、空も緑もすべてが輝いている中で朝買い物に寄ったスーパーでのこと、空いているレジに向かって歩みよった時に横から恰幅のある女性に押しのけられ立ち塞がれた、女性はわたしの行くてを塞いだまま買い物カゴを持った連れの男性をレジへと導いた。
一瞬、ただ唖然。その次、怒り不満苛立等のフィーリング。その次、別に構わないじゃないかと。
私は買い物を済ませながら、まだ私の中に相手を裁く思いがあることに気づき、相手が赦しの機会を与えてくれたことに深く感謝し、自我が悪きものとして見ているその人の面を通り越してその人の中の光をみれるようにと心から祈った。涙が溢れて胸がスッキリした。
今日はいつになく具体的な出来事を書いてしまったが、このように全ての存在がすべての出来事が私たちの癒しの機会を与えてくれている。すべての日常を使って唯一の実存であるじこの本質に気づくんだ。
光の柱
私はこの瞬間、大地のエネルギーと深く繋がっています。
(意識を地球の中心まで降ろして地球とつながります)
私のハートは今、開かれています。
(胸の中心に眩しい光をイメージします)
私は光の柱となり、上へ上へと意識を上昇させます。
(上下に伸びる美しい光の柱をイメージし、その光の中で今この瞬間に全てが浄化されるのみます)
毎日のスキマ時間にできる実践です
生命即神
身体のことは身体自身に聞いて、それに従いなさい
生命即神である
断食は食を断つことで体を清浄にする
瞑想は念を断つことで心を清浄にする
幸せであること
幸せになるには
幸せであること。
幸せとは内側の状態
内側が満たされた状態
本当は私達の内側はいつも完全に満たされている
でもその内側を忘れてしまっている
自分の内に無限の光と愛と安らぎがあるのに
外に幸せを愛を安らぎを求めている
外ではなく、内へ向かえ
まず自己の無限性、内なる神聖性、完全性を信頼すること
そうであると決めること
幸せであると決めること
心に荒波がたっているときはうまくいかないと感じるかもしれない
でもエネルギー、波動はかわっているよ、ちょっと決めただけで
少し安らぎや愛や平安を選択するだけでいいんだ
リラックスして微笑んで
幸せでいよう
幸せが私たちの本質
そうであることが全体へ世界への一番の貢献
いまここに目覚めた意識で
思い込みの物語りを生きるのか
いまここを生きるのか
いまこことは時間や場所ではない
目覚めた高い意識、光の意識
この光は神から来ている
この意識が真の自己であり、
この自己によって私たちは無限に受け取ることができる
小さなひとつの出来事からも、無限を受けとれる