苦の因果
感覚によって、欲(渇愛)が生れる。
欲(渇愛)によって、求める。
求めることによって、(物を)獲得する。
獲得することによって、(価値を)判断する。
判断することによって、熱望と貪りが起こる。
熱望と貪りによって、執着する。
執着によって、所有欲が起こる。
所有欲によって、物惜しみが起こる。
物惜しみによって、(所有したものを)守る。
(所有したものを)守るがために、
闘争、喧嘩、非難、嘘など、あらゆる悪しき不善な諸現象が起こる。
長部経典
正しい行動を
汚れた心で行動したり話したりするなら、
苦しみはその人につき従う。
車を引く牛の足跡に車輪がついていくように。
清らかな心で行動したり話したりするなら、
幸せはその人につき従う。
影がその身体から離れないように。
ダンマパダ
離欲の幸せ
欲望によりエゴの喜びや楽しみを手にする幸せ、これは一時的な幸せであり、環境や条件に依存した不安定なものであり、これに頼るほど、求めるほど、実は苦しいのです。
様々な執着を手放す、離欲の幸せがあります。煩悩を刺激する様々な情報が入ってくる現代人には難しいかもしれませんが、欲から離れるほどに安楽となります。手放せば手放すほど幸せを感じます。
この物質世界で、「これがあれば幸せ」というのは誤った思い込みであり絶対的なものではありません。
実際に物を捨てなくてもいいので、日々の心においてはとらわれず、捨ててみよう。
内的な成長のために
時間はとどまることを知らない。時間は私たちの誕生の瞬間に始まり、絶えず変化しながら、やがて私たちを最後の瞬間、つまり死へと導く。これは私たちが生まれながらにして持っている本性であり、世界の本性である。精神の道を歩む人間にとって重要なことは、絶えず自分自身を調べ、精査し、人生の刻一刻をどのように生きているかを自分自身で知ることである。
ダライ・ラマ14世
心を堅固に保つ
修行者として、自分の悪しき衝動、考え、感情に打ち勝ちたいと願っているのに、長年の習性と常にそれを抑えようとする努力を怠ってきたために、激情や悪意がひとりでに生まれてくる。度々そのような悪しき心の動きに翻弄されるほどその力は強烈なのだ。
よって常に用心しなければならない。いつも自己の心を監視し、悪しき習性が首をもたげてくるのを察知し、感情が大きくなる前に、心が感情に乗っ取られる前に抑えてるようにしなくてはならない。
注意深く自分の心を見張り少しでも悪しき傾向が出たならすぐさま正しい心に戻さねばならない。悪しき感情のデメリットをわかってはいても、そんなにひどくなければ、これくらいならいいかと思い見過ごしてしまいがちになる。こうやって悪しき習性がさらに根を張っていく。
だから心を常に注意深く監視し、守らねばならない。