神の中でいきること
愛することは、神の中で生きることです。
愛に生きるとは、神の中で生きて動くことです。
その思いと行為の一つ一つが神の中にあって、
世俗の中には一つもないほどにです。
人が愛を抱く時、決して破壊と死の波動に感応することなく、生命に溢れた波動に感応します。
ホワイトイーグル
常に愛を選択する
常に愛を選択する。常に。
私たちの内奥の魂、無限の意識は愛そのもの。無限の愛。
だから愛の心で語り,行動する。常に愛を選択する。
神はそれを待っていて、私たちが愛を放射することを喜んで下さる。
日々の自分の選択が神のご意思にかなっているか、愛に基づいているか、しっかりチェックしよう。
日々たゆまず前進しよう。心を大きく広く広げてすべてを愛によって抱擁できるように。
すべては神ギフト
忘れてはいけない すべては神の愛だということを。
現象は神の愛である。本来純粋で無限の愛と喜び、強さをもった輝ける魂である自己から遠く離れてしまった私が本当の私に還るための訓練、リハビリを神様が施してくだっさっているのだと気づければ、人生で起こる様々な出来事に対して、不安や恐怖や失望や落胆は起こらないはず。歓喜の思いしかない。
これを忘れたときは必ず苦しむ。エゴの苦楽のレッテルを現象に張り付ける。そんなことのためにこの現実世界があるのではない、すべてを愛で応えるのだ。
愛が私の本質なのだから。神は100パーセント私たちを愛してくださっているのだから。どうかその御心に応えれますように。
忘己利他
これ以上、何をいうことがあるだろう
己が利益のための子供じみた行為
他者の利益のための覚者(ブッダ)たちの行為
その違いをみるがいい
苦しむ人々に
私の幸福を差し出さなければ
私が覚者(ブッダ)の境地にいたることはないだろう
輪廻のなかで真の喜びを得ることすらないだろう
シャンティデーヴァ
六聯の金剛の詩
目にみえる現象は多様なあらわれを持っているけれど、
この多様さはもともと二元論の彼岸にある。
無限に多様なもののどれ一つとして、限りある概念のわくにおさまりきるものはない。
「これはこうだ」とか「それはああだ」と定義づけようとする罠から解き放たれるのだ。
そうすれば、すべての形あるあらわれは、
形を持たない無限がしめすさまざまな表情にすぎないし、
そこから切り離すこともできないから、
そのままで完全なものだということになる。
すべての始まりから、あらゆるものがそのままで完全だということがわかれば、
何かを達成しようとする努力は、すべて放棄される。
あるがままの自然な状態にとどまっているだけで、
不二の三昧の境地が自然に生じ続ける。
ナムカイノルブ著「虹と水晶」より