修行の日々
喜びに満ちた修行の日々を送っています。
全力で修行すると誓ってからもまだまだ怠惰が覗いたり、エゴが出たりもします。
でも神がいつも私を見ている。
いつも私を励ましてくれている。
だからそれに応えたい。
私を神の道具として使ってくださいとお願いしながら、エゴに占拠されていてはいけない。24時間心を浄化して神に誠実にあれるように。
神への愛を忘れないように。
ただ愛だけがあればそれでいい。
エゴを価値のないものを欲しがるけれど、私は神への愛だけがすべてである。
神その無限の愛によりすべての存在に無限の恩寵をもたらしてくれている。なのになぜこの恩寵をみんなうまくうけとれないんだろう。
それはこちら側の愛が足りないから・・・。
神への愛が足りないから。
神への愛はすべての衆生への愛、衆生への愛が足りないから。
だからもっと愛を大きくしたい。
修行して、人々を手助けして、もっと愛を大きくしよう。
愛は無限なのだから。
幸せ
幸せ
人生で一つだけ決まっていることがある。
それは必ず死ぬということ。
それはいつ来るかわからず、
そして仮に長生きしたとしても、数十年という短い時間しかない。
その残された短い時間を、どのようにいきたいのか。
みなの幸せのためにいきたい。
あるいは、ただ純粋な主の道具となりたい。
そう思える人は、幸せな人だ。
そこに答えがある。
ヨーガスクール・カイラス発行 松川慧照エッセイ集⑫より
役にたたないもの
憂いや悩みが何の役に立つのか。
何の役立たないどころか自分に対して害をなしているのに、なぜ憂いや悩みで心を暗くするのか。
心を明るくして心配や不安、怖れや憂いを振り払うことが最良のこと。
自分の心の中にあるものを見つめて、良いのもと悪いものを振り分けて悪いものを捨てていかなければならない。
そうしなければ同じことの繰り返ししなってしまう。そんなことを繰り返している時間はもうないと思って全力で自分の心を浄化しよう!
役に立たないものはさっぱり捨てよう。たくさん捨ててスッキリしてくれば、心はいつも明るくなる。
それが本当の自分、元々の歪みのない自分自身、平安と慈愛で光輝く心となる。
そこに至るためにはつまずいても、行き詰っても、倒れても、疲労困憊しても、前進し続けよう。
目的地には必ず到達するから。
修行の糧
修行の糧
運が悪かったとか
ああしてればよかったとか
そんなことを考えてはいけない
すべてはただ
一瞬一瞬全力の積み重ね
その結果として最悪の状況が生じたとしても
それがなんだというのだ?
たとえあなたが想定する最悪のことが起きたとしても
そんなことはたいしたことではない
良いことも悪いことも
すべては神の愛であり
修行の糧
良いことも悪いことも
エゴの想定内でも定義であり
すべてはただ至福に向かっている
しかしもし、できるだけ早くその至福に至りたかったら
全力であれ
素直であれ
誠実であれ
慈悲深くあれ
快活であれ
人の悪いところを見るな
人の批判をするな
言い訳をするな
真理を強く求め
何が起ころうともすべてに感謝し
常に喜びの心を持ち
成功にも失敗にもとらわれず
ただこの今に集中して
ただ今、なすべきことをなせ
ヨーガスクール・カイラス発行 『松川慧照エッセイ集⑧』より
ただ愛があれば
全力で修行をするぞと決めて自分で日々の行の内容を計画してはじめたものの計画通りに出来た日がありません。
目標3時間の瞑想が1時間ほどで寝てしまいます。それでも出来ていることだけでも大きな変化を感じます。
まだまだ未熟だからこそ、出来なくても諦めることなく、自分を鼓舞し日々少しでも前進です。
神々が見ています。恰好悪いところばかりみせたくないですね。
瞑想がちゃんと出来なくても、心が純粋で誠実であればいい。
修行がおろそかでも心に人々への愛があればいい。
でもエゴが出てしまい、ひどい心になることがあります。
それを懺悔して心に引きずらず、呼吸法やヨーガなどをしてエネルギーをあげて心を引き上げていくしかないです。
日常によい学習の機会が無数にあります。
感謝して、心を浄化して、本来の光輝く心に戻していきます。
心に愛があればそれでいい。
ただ愛だけがあれば・・・。
それだけが私を真に幸せにしてくれます。