丹田をつくる
丹田は生まれつき出来上がってるわけじゃない。
自分で作るもの。武術やヨーガの呼吸法、瞑想で丹田を鍛える。
丹田に気が集中しているときは、いまここを生きている、どんな状況でも焦ることなく、人目を気にすることもなく、平安で心静かだ。
現代はみんな頭で生きていて、腹で生きていない、丹田が作られていない。
丹田を鍛えることは難しくても、腹で生きるのは簡単に出来る。
頭はいつも自分のことを守ろうとする、大切な人や誰かを守ろうと腹を決めて腹を据えたら、自分が幸せになるんだ。
過去を振り返ることなく、未来を気にすることなく、いまこの瞬間を美しく生きよう。
何が起きたっていいじゃないか。
人生を楽しむ
人生って起きることが起きる。
起きること以外は起きない。
これが起きて欲しいとか、これは起きてほしくないとか
期待と恐れで心を揺らすのは不要でありエネルギーの浪費だ。
またこうなればよかったのにとか、こうならなければよかったとか
起こることにいい悪いの判断をしてもしょうがない。
起こることが起こる。
それしかない、それ以外が起こることはないわけだ。
人生はそれで完璧。
自我の見方を外せれたらそう見える。
これに合点がいけば、リラックスして起こることを楽しめばいい。
楽しめないなら、楽しめない自我の思い込みをもってるのが見つかるから、
それを許して愛して手放していこう。
リラックスして楽しんで!
気をつけたって起こることは必要があって起こるんだよ。
もっとこうしておけばとか、自分を責めることはないんだよ。
いつも平安を選べるよ。
いつも幸せを選べるよ。
いつも。
僕の僕の僕の・・・
神の僕(しもべ)として生きている。
聖師に出会ってから少しずつ深めてきて、まだまだエゴは出るが、
人生を神に捧げて、神のために生きる。神の道具として使っていただく。
神の僕であることに喜びと誇りをもって生きよう。素晴らしいことだ。
イエス様だって「私は人々に仕えるためにきた」とおっしゃっている。
僕というと抵抗あるひともいるだろうが、神の僕でなかったらエゴの僕でありマーヤー(幻影)の僕だ。どっちかなのだから神の僕がいいだろう。
でも僕よりもっとすごいものに気づいてしまった。神の僕の僕になりたい。
そして神の僕の僕のそのまた僕に!
自分の選択を褒める
自分の選択を認める、受け入れる、もう一歩いって褒める
それが幸せというものなのかもしれない。
もちろんここでいいってる自分の選択って自我が問題視したり後悔したりするものについてだ。
私たちはいつも人生の決められたシナリオの中で、その場その場で、限られて選択肢の中でその時できる最良の選択をしてきたんだと。
与えられた条件の中で最良の選択をしたんだと褒めてあげることができるんじゃないか。
それができれば、今ここで怒ってしまったり、ネガティブであったりしても、
いまここでそうであることにジャッジせず、
状況や人に対してもいまここではその体験が書かれたシナリオであり、それしかないんだと知って受け入れ、そのシナリオの中で自分の選択を褒めたらいいじゃないか。
私たちは気づいてないけど、今までさんざん自分を責めてきたんだ。
たとえ現実が自我が望んでいるものと違ってもそれは自分のせいじゃない。
この宇宙はいつも完全、ただそれは自我の視点ではわからない。
念正智は大切だが、気づきは大切だが、責めたり、悔やんだりは違う。
だったらひとまず、いつも自分の選択をほめてみよう。
愛するためにあるんだよ
すべてのことが、愛するためにあるんだ傷つくの
が嫌だから防御したり逃げたりしてしまうとしても
それは愛するためにあるんだ
私に必要なのはそれを愛すること、まずは、いつもわかっていても
最初から大きな愛を出せるわけじゃない
学びに来ているのだから、出来ないことを出来るようになるために
日常細かいことでイラっとしたいじいじんじゃないか、しょうがなくて
も愛してこう、イラっとした自分も相手ももっと
広い心でいつも
愛を選択することを忘れないで
少しづつ愛のボリュームを上げていけばいいすべては
そのためにあるんだよ
本当は他とは違うけど
愛してくれるためにいてくれるんだよ
理解してるだけじゃしょうがない
実際に愛をいきだよ
この日常を使って