愛を感じる
毎日愛を感じているだろうか
世界をみて、森羅万象をみて
すべては愛でできているのだから外側に愛を感じれればいい
でも外側に愛を求めても多くは見出せないのではないだろうか
まず自分の胸の内に愛を感じよう
そこに愛がある
いつもどんなときもある
永遠に無限に内側には愛がある
それを感じてみよう
毎日、毎瞬
内側に無限にあるんだから外に求めなくていい
愛があるからってそれですませててはだめだ
愛を深めるんだ
愛を放射する存在になるんだ
内側を感じて、愛を感じて、
愛はエネルギー だから愛を感じれば生命エネルギーが
増強されて心も体も清浄になる
ということは苛立ちや怖れや悲しみを感じていると
心と体はどうなるだろう
だから日々胸に手をあてて深い呼吸と共に胸の深奥の愛(無限のエネルギー)を感じよう
少しでもいい
少しづつでいい
静まって感じよう
ありのままを受け入れる力
何かを変える力はいらない。
ただありてあるものすべてをありのままに受け入れる力が必要なんだ。
そしてこれには頑張ることや主張すること抵抗することをやめて明け渡すこと。
ありのままを受け入れる力、出来事も他人も自分も。
この力を育んでいくと心に静けさや平安が増える。
理解だけではなく実践が必要だ。
今日も実践しているだろうか。
気づきの意識
できる限り気づきの意識を働かせていよう。
自分の心の声に気づいていよう、静かな観察者でいよう。
気づきの意識がない時、私たちは心の声に従って行動し、心の声に反応し、不快な心が嫌いなんとかしたいと苦しんでいる。嫌な気持ちを感じたくないのだ。
でも抵抗するとさらに苦しくこころに巻き込まれていく。
だから心が波立ってもそれに気づき見守る、否定も抵抗もしない、変えようともしない、ただ見守り見送る。
これを毎瞬毎瞬練習して観察者モードを育もう。
気づてただみている、どんな心も、どんな感覚も。
これを理解し実践することが、心の平安への道である。
神のレッスン
私が経験することはすべて神が私に経験させたいことです。
神は私がその体験を通して成長し、神に近づくために与えられた恩寵です。
「神」がしっくりこない場合は、真の自己、真我、自己の魂がこの経験をしたがっていると考えても同じことです。
真の自己と神は一体です。
人生は自我のの意思ではなく、もっと大いなる意思によって動かされている。
だったら自分に起こることに抵抗したりして苦しんだりしてもがかなくてもよいのでは?
何か出来事を前にして
「神は私にこれを体験させたがっている。」
と呟いてみよう。神への愛と信があれば喜びが感じるはず。
すべてにおいてこれが当てはまる。
だからすでにいつもいつも恩寵のなかにいるのだ。
気づきから実践へ
日々接する人たちの中で一部人たちは朧気ながらも真理を理解してきている。
そして気づきを持って自分に当てはめることも出来ている。
私自身にも言えるが、気づきで終わらずに実践を続け結果を出すことが何よりも大切だ。物質的なことでは実践して結果を出せる人は多いが、なぜ自分の心を変革するのはよほどのことがない限りしようとしないし出来ないのだ。
私たちはみな大いなる光であり、その光に気づけないのは心の曇りゆえだ。
ものの感じ方の透明さを妨げる判断・批判という不純物を取り去ろう。
ハートを流れる愛を妨げる競争心・妬み・貪欲を取り去ろう。
自分に不足があるという思い
悲しみ、恐れ、感情の闇、
それらすべてに意識の光を当てよう。
神の愛でかみの光で包もう。
修正できないものなんてないし、間違いなんてない
経験があるだけ
その経験を通して純粋な光に戻っていこう
本当に光があるだけなんだ。
光一元、すべては光だと知ってそのようにみてごらん
自分も人も全てが光だって。