ブログ

  • 心の訓練

2021.07.28

すべては神の愛

この世界は神の愛でできています。人生で起こることはすべて神の愛です。
でもそうは思えないし感じられない、時々そう感じられることがあっても、心の穢れによって普段はなかなかそうではない。
それでもすべては神の愛だということは真実だ。
そう確信できるなら、すべてを神の愛としてみよう。意識的にそのようにみる。
人生に起こる出来事は神の愛、私の穢れを取り除き、神のもとに導いてくれる。
だから苦しむエゴを捨てて、神の愛を喜び感謝し、その愛の導きのままに進む。
すべてを神の愛とみて、神の愛に応えるために努力する。それは幸せな努力であり、いつか報われる努力だ。
努力が報われたとき、この世界は光輝き、すべてが神であるとわかるだろう。
  • 心の訓練

2021.07.19

観念を打ち砕く

心が過去や未来にうつろうのをやめたとしても、今この瞬間を考えていてもその心が観念づけであれば意味がない。しかしほとんどの人がこの世界の様々な観念に支配されて生きている。
この観念はというと、過去の経験からつくられたものであり経験にとらわれた見方にほかならない。よって過去からの習性によって現在を生きているだけであり、これではありのままに物事をみることができず、いまここにある素晴らしさを感じることは出来ない。
よって自分にとってマイナスな観念をすべて捨てる。というか一般的にはほとんどの観念が私達のものの見方を限定し狭い空間に押し込めているのでそれらに気づき捨てていく・・壊していく。観念はまさに心に壁をつくって心を狭くしている。そして心が狭いから苦しい。
心を広げること=観念を打ち砕くこと・・・これもまた全力で取り組まなければならない。偽りなき自由と喜びの境地へとたどり着くために。
  • 心の訓練

2021.07.15

新鮮な今このとき

過去は過ぎ去ってしまいもうない、未来はまだ来ていない。なのになぜ多くの人は多くの時間を過去の栄光や後悔、未来への期待や恐怖に使っている。過去は腐った果実、未来はまだ熟していない果実、どちらもマズいだけ・・・。
新鮮な今を味わわないともったいない。いまここにすべてがある・・・。
私もこれを知り、努力つつも過去や未来を思うことに多くの時を費やしてしまっていた。

過去を思うとき、終わったことを思うことに全くなんの意味もないことを考える。人はそこにいろんな意味をたせるだろうが、本当は意味がない、どころか無駄である。後悔があるのであれば、懺悔して二度と同じ過ちは犯さないと誓ったらあとはきれいさっぱり忘れて今この瞬間に集中する。エネルギーを上げて善き思いでやるべきことをやる。

未来を恐れたり心配したりするとき、心配しようがすまいが起こることは起こるし、起こらないことは起こらないのだと思いだす。近い未来は現時点でのそれぞれのカルマによって決まっているので考えてもしょうがない。ただ今喜びをもって善き行いをして生きていればそのカルマの積み重ねによって先の未来は確実によいものになる。しかし悪いことが起きようが良いことが起きようがそれらはすべて神の愛である。私達を神の懐へと導いてくれる最短の道をいつも示してくれている。だがこれも過去や未来にとらわれていては気づくことが出来ず進むことができない。

どうかいつも今この瞬間を100パーセントの集中で全力で生きれますように。
過去や未来を思う心の習性を断ち切り、まっさらな心で今を全力で生きれますように。
  • 心の訓練

2021.03.25

心を感謝で満たす

心を感謝で満たす。いつも、いつも感謝を忘れない。
私は目が見え、耳が聞こえ、五体満足である。これを当たり前だと思ってしまっているが、よく考えたら有難いことだ。
この現代の日本という平和な国にいて、日用品や食べ物にも困らない。
この平和やいま与えられているもの、今日生きていること、すべてが感謝ですね。
今でも貧しい国や紛争のある地域にいたら・・・
今の時代ではなく戦争が繰り返されていた時代や野蛮な国に生まれていたら・・・
昨年コロナの時期に過去生の記憶(?)のようなものを思いだしたことがあった。その場面では、流行り病がでた村を兵士が包囲し、多くの村人を閉じ込め、火をつけていた・・・
こんな心痛む所業を人間は過去にに繰り返してきた。今コロナで苦しんでいる人も多いだろうがまだましに思える。
だから日々すごい感謝なはずです。幸せなはずです。不満をもったりしないはずです。
それをしっかり思いだして幸せに生きよう、心明るく、朗らかに生きよう。
  • 心の訓練

2021.03.19

四無量心

心がすべて。
だから心の穢れを浄化し、改善する。
私たちのもともとの、透明で純粋で愛に満ちた光輝く心、永遠で無限の至福に満ちた心となるには、
まず日々心を神聖なのもへと変えるべく訓練する必要がある。この生きている一瞬一瞬に自らの心を監視する。
そこで拠り所となるのが四無量心だ。
慈・悲・喜・捨の四つの無量の心・・・
慈とは、他者が幸せになって欲しいと願う心
悲とは、他者が苦しみから解放されてほしいと願う心
喜とは、他者の幸福を心から喜ぶ心
捨とは、自分自身の苦楽等には一切頓着しない心
ここで素晴らしいのは無量というのは限定のない、限りない、無限、永遠というような意味あいをもつので、
これらの心をすべての存在に対していつも限りなく持つということになる。
全ての存在に対していつ何時も、一人ものけ者があってはいけない。
この四無量心をいつも忘れない。
そしてこの四無量心よって日常の様々な行為を行う、実践するのだ。
自分のことは捨てるわけだが、これが出来るようになった時には自分が本当に幸せになっているだろう。
いつか永遠の至福へと至るでしょう。
その日まで精進しましょう。こういった努力は真に価値のあることです!

ヘナハウス沙羅の樹

〒520-2144 滋賀県大津市大萱1-20-20 アメニティ瀬田東1F

ご予約・お問い合わせ
077-544-6715 077-544-6715 10時〜17時
Copyright© 2018 ヘナハウス沙羅の樹 All Rights Reserved.