母なる衆生
私たちは無数の輪廻転生を繰り返している。その無数の生涯の育ててくれた母がおり、助けてくれた恩人がいる。この人生で今目の前にいる人がいずれかの過去生で自分の母や恩人であったかもしれない。
そのようにみるこで、すべての衆生が大切な存在であり恩を返すべき存在であり、自分自身よりも彼らが幸福であることを願う。ただ一人の例外もなく自分以外のすべての存在の幸福を願う。
このように心を訓練する。日々のいろんな現象よ人間関係の中で自我を落とし、純粋な慈悲に満ちた心に作りかえる。それのみが重要なことであり、それによってしか真に幸福にはなれない。
如意宝珠にもまさるすべての衆生の最高の幸福を実現しようとの決意をもって、いつも彼女たち(母なる衆生)を慈しむことを学べますように。
“心を訓練するための八つの詩”より
自由な心で
自由な心で生きる。もちろんそれは煩悩や欲望のままに生きることとは全く違う。
私たちは過去の経験から得た印象、定義づけなどによってたくさんの観念をもちそれらによって世界をみている。皆それぞれの
観念から世界をその人の一定の見方で見ている。その限定的な見方をやめて、世界を固定化するのをやめて、世界をすべてをありのままにみるとき、苦悩は消える。世界をありのままに見れる人、それは悟った人だ。
だが、自らのこころの習性から生じるすべての思い計らいを捨てて、こうなったらいいな、ああなったら嫌だなという思いもできるだけもたず、できれば、善い行いをし続け、絶えず清らかな思いでいる。この努力を続け、煩悩や欲望、心の習性を超えたとき、心は自由になり世界も自由になる。
今の不自由な限定された心の習性な長い間繰り返されたことにより強力なものとなっているかもしれない。だから利他心や慈悲心などを土台とした心で日々生きることを繰り返す(失敗してもやり続ける)ことにより、新しい善い習性を確固としたものにできるだろう。
すべては神の愛
この世界は神の愛でできています。人生で起こることはすべて神の愛です。
でもそうは思えないし感じられない、時々そう感じられることがあっても、心の穢れによって普段はなかなかそうではない。
それでもすべては神の愛だということは真実だ。
そう確信できるなら、すべてを神の愛としてみよう。意識的にそのようにみる。
人生に起こる出来事は神の愛、私の穢れを取り除き、神のもとに導いてくれる。
だから苦しむエゴを捨てて、神の愛を喜び感謝し、その愛の導きのままに進む。
すべてを神の愛とみて、神の愛に応えるために努力する。それは幸せな努力であり、いつか報われる努力だ。
努力が報われたとき、この世界は光輝き、すべてが神であるとわかるだろう。
観念を打ち砕く
心が過去や未来にうつろうのをやめたとしても、今この瞬間を考えていてもその心が観念づけであれば意味がない。しかしほとんどの人がこの世界の様々な観念に支配されて生きている。
この観念はというと、過去の経験からつくられたものであり経験にとらわれた見方にほかならない。よって過去からの習性によって現在を生きているだけであり、これではありのままに物事をみることができず、いまここにある素晴らしさを感じることは出来ない。
よって自分にとってマイナスな観念をすべて捨てる。というか一般的にはほとんどの観念が私達のものの見方を限定し狭い空間に押し込めているのでそれらに気づき捨てていく・・壊していく。観念はまさに心に壁をつくって心を狭くしている。そして心が狭いから苦しい。
心を広げること=観念を打ち砕くこと・・・これもまた全力で取り組まなければならない。偽りなき自由と喜びの境地へとたどり着くために。
新鮮な今このとき
過去は過ぎ去ってしまいもうない、未来はまだ来ていない。なのになぜ多くの人は多くの時間を過去の栄光や後悔、未来への期待や恐怖に使っている。過去は腐った果実、未来はまだ熟していない果実、どちらもマズいだけ・・・。
新鮮な今を味わわないともったいない。いまここにすべてがある・・・。
私もこれを知り、努力つつも過去や未来を思うことに多くの時を費やしてしまっていた。
過去を思うとき、終わったことを思うことに全くなんの意味もないことを考える。人はそこにいろんな意味をたせるだろうが、本当は意味がない、どころか無駄である。後悔があるのであれば、懺悔して二度と同じ過ちは犯さないと誓ったらあとはきれいさっぱり忘れて今この瞬間に集中する。エネルギーを上げて善き思いでやるべきことをやる。
未来を恐れたり心配したりするとき、心配しようがすまいが起こることは起こるし、起こらないことは起こらないのだと思いだす。近い未来は現時点でのそれぞれのカルマによって決まっているので考えてもしょうがない。ただ今喜びをもって善き行いをして生きていればそのカルマの積み重ねによって先の未来は確実によいものになる。しかし悪いことが起きようが良いことが起きようがそれらはすべて神の愛である。私達を神の懐へと導いてくれる最短の道をいつも示してくれている。だがこれも過去や未来にとらわれていては気づくことが出来ず進むことができない。
どうかいつも今この瞬間を100パーセントの集中で全力で生きれますように。
過去や未来を思う心の習性を断ち切り、まっさらな心で今を全力で生きれますように。