心を感謝で満たす
心を感謝で満たす。いつも、いつも感謝を忘れない。
私は目が見え、耳が聞こえ、五体満足である。これを当たり前だと思ってしまっているが、よく考えたら有難いことだ。
この現代の日本という平和な国にいて、日用品や食べ物にも困らない。
この平和やいま与えられているもの、今日生きていること、すべてが感謝ですね。
今でも貧しい国や紛争のある地域にいたら・・・
今の時代ではなく戦争が繰り返されていた時代や野蛮な国に生まれていたら・・・
昨年コロナの時期に過去生の記憶(?)のようなものを思いだしたことがあった。その場面では、流行り病がでた村を兵士が包囲し、多くの村人を閉じ込め、火をつけていた・・・
こんな心痛む所業を人間は過去にに繰り返してきた。今コロナで苦しんでいる人も多いだろうがまだましに思える。
だから日々すごい感謝なはずです。幸せなはずです。不満をもったりしないはずです。
それをしっかり思いだして幸せに生きよう、心明るく、朗らかに生きよう。
四無量心
心がすべて。
だから心の穢れを浄化し、改善する。
私たちのもともとの、透明で純粋で愛に満ちた光輝く心、永遠で無限の至福に満ちた心となるには、
まず日々心を神聖なのもへと変えるべく訓練する必要がある。この生きている一瞬一瞬に自らの心を監視する。
そこで拠り所となるのが四無量心だ。
慈・悲・喜・捨の四つの無量の心・・・
慈とは、他者が幸せになって欲しいと願う心
悲とは、他者が苦しみから解放されてほしいと願う心
喜とは、他者の幸福を心から喜ぶ心
捨とは、自分自身の苦楽等には一切頓着しない心
ここで素晴らしいのは無量というのは限定のない、限りない、無限、永遠というような意味あいをもつので、
これらの心をすべての存在に対していつも限りなく持つということになる。
全ての存在に対していつ何時も、一人ものけ者があってはいけない。
この四無量心をいつも忘れない。
そしてこの四無量心よって日常の様々な行為を行う、実践するのだ。
自分のことは捨てるわけだが、これが出来るようになった時には自分が本当に幸せになっているだろう。
いつか永遠の至福へと至るでしょう。
その日まで精進しましょう。こういった努力は真に価値のあることです!
被害や苦痛を受けたとき
誰かから何らかの被害や苦痛を受けたとき
それを自己の心の成長の糧として喜ぼう。
その苦悩から積極的に何かを学ぶようにしよう。
そして、悪しきカルマが浄化されたのだと喜ぼう。
何とかして、その苦痛や被害を自己の成長や進化につなげるのだ。
(松川慧照エッセイ集より)
自分の心乱される出来事、自分を苦しめる存在ほど有難い存在ですよ。それこそが逞しくしてくれ成長させてくれ、結果もっと幸せにしてくれます。苦難に出会うことこそが人生の価値です。だた真に価値あるものに出来るかは自分次第!根性の見せどころです。聖なる意識で生きようと努力しているのなら怖いものはないはずです。
人生は過去のカルマ(過去に自分が為した行為)の結果です。苦しみに会うのは過去(過去生を含む)に誰かを苦しめたからです。それが返ってきた・・・そして過去の悪いカルマ(悪業)が一つ消えたわけです。この悪業が多いと心も安定せず幸福感をえにくいので、悪業が消えることは喜ぶべきことなのです。ただみんなこの法則を知らないので、悪業を消してくれた相手を恨んだり攻撃したり、また批判したりしてさらなる悪しきカルマを作ってしまいます。カルマ(行為)は心においての行為も含むので気をつけなければなりません。
また自分で未来の苦しみを増やしてはいないでしょうか・・・。
カルマが浄化されたといういいことだけでなく、苦しみの経験からはたくさんのギフトがあります。
許しの実践、寛容な心、忍辱の実践(苦しみに耐える強い心)、無執着、人の痛みを理解する心・・・
これらを養い、もっと優しいもっと強い自分になれるはず。
そして周りの人々を幸せにできるようなり、自分ももちろん幸せになります。
苦難に出会うのは嫌かもしれない、でも恐怖しないで大丈夫、それさえも神の恩寵であり、愛なだから。
だからこちらも愛によって乗り越える。
愛によって。