ゆったりと構える
師走、師も走るとは日本語の表現は深いですね。
今年中にあれもこれもと思うとなんだかせわしなく感じますが、そんな時ほど物事をゆっくりとこなしながら、こどもの頃の気持ちを取り戻し、日々の出来事を楽しもう。
「忙しい」という字は心を亡くすと書きますね。うれしい、たのしい、幸せという心をなくしてしまわないように、少なくしてしまわなように、うれしい、たのしい、幸せという心を増やしていこう。
「忙しい」とは言わず、「充実している」言えばいいですね。
自分のためにも、思いかたや言葉をかえていこう。
生かして頂いてありがとうございます。
私は幸せでです。
あたりまえのことに感謝する
いまここに生かされていること。
息ができること。
体が動かせること。
目が見えること。
耳が聞こえること。
感じれること。話せること。
あたりまえだと思っているけど、全部奇跡。
心臓や他の臓器が機能し続けてくれていることだってすごいこと。
だからいま体験できている。
家族や日常の些細なことを不満に思うのはおかしなこと。
感謝が足りない。
家族が生きていること、「おはよう」や「いってらっしゃい」と挨拶できることに感謝をしよう。
与えられたものを喜び感謝しよう。
足りないものは何もない。
すべて与えられていた。
ここから嬉しい,楽しいと進んでいこう。感謝して。
不満が出るのは、感謝が足りない。
心に影がさしたらすぐに気づいて、あたりまえのことに感謝しよう。
目の前に奇跡に気づこう。
受け入れるという難問。
何事も受け入れよう、その人のその行為やあり方を認めて受け入れ愛したい。
これが必要だとわかっていてもなかなか大変な作業です。
エゴが邪魔をし、マインドはそれに協力します。
エゴは自分が正しい、相手は間違っていると言い続けます。
正しいと間違い、良い悪いはありません。それはエゴの意見です。
その人がありたいようにあればいい。
その人のそのままを受け入れたい。
たとえその人が無知や迷妄を選択していたとしても、コントロールすることは出来ない。
ただ自分が自分にとって聖なる選択をし続けるだけで。相手のために。
エゴをなくしてしまえば、受け入れることは簡単になる。
エゴを養うのをやめよう。
愛と気づきをもって、瞬間瞬間を生きよう。
今日という日
今日をどういう日にする?
この世界のすべてを讃え感謝する日にしよう。
立ち止まって、そこにあるものに意識を向ける。自分の内側、外側に意識で大切に触れる。
感謝するだけでもいい。人のために何かすることで感謝の気持ちを表せればなおいい。
自分のエネルギーを讃える日にしよう。
そしてこの無限の時間に感謝する日にしよう。
毎日をどんな日にするか、楽しく嬉しいことだなあ。
努力なく
ゆだねてリラックスしよう。じたばたしてエネルギーと時間を消耗させなくていい。
エネルギーを注ぐなら自己の内側に平和と静寂を見つけること時間をかけよう。
ゆだねてリラックスして心と意識の平和を見つけよう。
頑張ることをよしとして育てられた私たちはついつい頑張ってしまうけれど、集中はリラックスがなければえられない、いや、集中すら意図しないで、自由に自然に一切努力することなく流れさせる。
そこに神の秩序がなはれこむのだ。
このようなあり方を練習しよう。