すべてはひとつ
わたしは、すべてのものとひとつです。
わたしは、すべての命とひとつです。
わたしは、すべての人々とひとつです。
わたしは、神とひとつです。
一体であるわたしの中で、わたしは永遠で無限です。
一体であるわたしの中で、わたしはわたしに
わたし自身を与えることが出来ます。
一体であるわたしの中で、わたしはわたし自身を与えます。
一体であるわたしの中で、わたしは愛とともに
喜びと思いやりに満ちて自由に与えます。
わたしがわたし自身に与えるとき、わたしは強められます。
わたしがわたし自身に与えるとき、わたしのパワーが増します。
わたしがわたし自身のすべてを与えるとき、
永遠の無限なる神の存在が、わたしの存在の真実になります。
わたしは深く感謝しています。
心から感謝します。
イアンラ・ヴァンサント『ある日、わたしの魂が開いた』より
“梵我一如” 「すべてなるものとわたしはひとつです」
「わたしはブラフマンです」
この思想を私は心に持ち続けてきました。これは思想ではなく真実だと思っています。
これが真実となれば、人の幸せは自分の幸せとなり、より平和と分かち合いが広がるでしょう。
ヘナハウス沙羅の樹では、ワンネスディクシャを通して本当の自己であるワンネスの意識へと至る支援もおこなっています。
与えることは受け取ること、人の喜びは私の喜び、人の幸せは私の幸せ、そうなることで世界は救われます。人類は救われます。地球は救われます。
まずは自分からそのように生きたいですね。
ヘナハウス沙羅の樹より
すべてなるものの源からの愛を送ります・・・
朝のアファーメーション
わたしは宇宙の力の神聖な器です。
わたしは宇宙の愛の神聖な反映です。
わたしはわたし自身で完璧です。
わたしはすべてであり、完全です。
わたしは無限で豊かです。
わたしは神聖な能力に恵まれています。
わたしは魅力的で美しい。
わたしは行動する喜びです。
わたしは世界の最も偉大な奇跡です。
わたしは世界の光です。
わたしはわたしでいることのすべてであり、
人生はわたしの存在で美しく輝きます。
わたしは深く感謝しています。
心から感謝します。
イアンラ・ヴァンサント『ある日わたしの魂が開いた』より抜粋
少し言い過ぎかと思うかもしれませんが、これはあなたの真実でありよいアファメーションです。
朝起きたら、しっかりの声に出して唱えてみましょう。
アファメーションは、真実の言葉をしっかり心に根づかせるように、声に出して表明するものです。
その言葉が真実であると宣言し、自分のものにするのです。
上記の言葉が真実だと思えないなら、あなた自身のことを低く見ています。それは偽りです。
あなたは永遠で、無限の、素晴らしい存在なのですから。
自分にしっくりくる言葉でよいので、肯定的なアファメーションを継続して実践してみるとよいでしょう。
あなたの間違った自己イメージがあなたにとってつらい現実をも作り出します。
神聖な存在であるあなた自身に気づくのに、朝のアファメーションは大きな助けとなるでしょう。
ヘナハウス沙羅の樹より
あなたの内なる神聖に礼拝します・・
祈り
親愛なる神様
今日、わたしの想念を通してお考えください
今日、わたしの言葉を通してお話しください
今日、わたしの行いを通してお働きください
わたしをあなたの器としてお使いください
今日、そして永遠に
エゴを脇に退かせて、コントロールを手放して、神に委ねることを意識していてもなかなかそのように在れないときがあります。
そんなときはこのような祈りを繰り返すといいかもしれません。
心を込めて祈るだけです。
どんなときも。
何度も、何度も。
無条件に
わたしたちの本質は創造主と同じ無条件の愛であり、そのままで完全で完璧な存在です。
それなのに日常のこころの中をのぞいてみると、
これはこうでなくてはいやだ!
こうあってほしい!
などなど自分に対して、人に対して様々に条件をつけています。
この条件をつけているのはエゴで、エゴは本当の自分ではありません。
エゴは過去の体験からの考えをもちいているだけでだけなのです。
エゴはいつも条件づけをします。
これが一切の苦しみのもとなのでは?
わたしたちは無条件の存在です。
無条件に愛する
無条件に許す
無条件に受け入れる
あれでもいいし、これでもいい、なんでもいい、
こんな風に存在できるのではないでしょうか。
これもあなたの選択です。
エゴはそんな在り方はあり得ないと主張するでしょうが、
自然で幸せな本来の在り方なんです。
本来のわたしからとおくはなれて生きていてるのではないでしょうか。
本来の神と同じである無限の自己へと還ってくる時期が来ています。
エゴを選択し続けても、神なる自己を選択してもどちらでもいいんですよ。
あなたが何を選択しても、宇宙は(神は)あなたのいつも見方でです。
あなたを愛しています。安心して楽しんでください。
ヘナハウス沙羅の樹より 愛をこめて
すべては神の恩寵
私の好きなラーマクリシュナは「恩寵は絶え間ない雨のように降る」といい、彼の心は常に神に向いていました。
非二元の本を読んでいてこの彼の表現について書かれてました。以下少し引用します。
恩寵は常に降り注がれているのである。ひとたび、わたしたちがすべての命とひとつであるという、自身の真の性質に目覚めると、この世に恩寵でないものは何もないことに気づく。すべてが恩寵なのだ。
恩寵はわたしたちの内側にも、周囲にも、実に至るところに降り注がれている。わたしたちの真の性質は恩寵なのだ。わたしたちが誰であり、何であるのかは意識である。子供の頃に教えられたように、神はどこかある場所に、ある状態でおられるのではなく、あなたのまさに実体なのである。
意識は神なのだ。
神は意識なのだ。
「あなたのストーリーを棄てなさい」ジム・ドリーヴァーより
ここで言っていることがわかっても、日常でそうは思えなかったりしることもあるでしょう。
でもこれが真実だと思うなら、自分にとっての真実として決めることです。
“すべては神の恩寵だ”と自分で決める。そしてそのようにみる。そのようにいきる。
そうすれば体感、実感してきます。
すべての実相は神であり、愛です。
これが真実なのになぜわざわざ自分で決めてそのような見方をしていく必要があるのかと思うかもしれません。
でもそれは私達が無明だから、“すべては愛”ではないと決めてきたから。
しっかり決めなおす必要があるのですね。
いまいろんはスピリチュアルな情報があります。でも自分でそう生きるときめて実際日常で使われなければ知識にはなんの意味もありません。そして苦しみ続きます。
すべては神の恩寵、すべては神の愛、神の恩寵は絶え間ない雨のようにふる、この真実を生きはじめたときどんな感じがするか想像してみてください。
すべてはあなたの選択です。
ヘナハウス沙羅の樹より 光と愛を送ります