絶えず神を想う
この身体も心も考えも物質的な所有物もすべてわたしのものではなく神のもの。
そのように祈っていてもエゴは所有を主張したり、何かを求めたり、利己的な思いがでる。
だから絶えず神を想う・・・。自我の出る隙がないように。
過去生も含め今までずっと長い間エゴを作り上げ養ってきたのだから、自然にエゴがでるのは当たり前のこと。
このエゴが苦しみをもたらしているのにそれに気づいてもまだ使い続けるのか。
だから断固として捨てる。自分を捨てる。そして神をとる。
それだけが幸せ・・・。
そのために日々修行できることが幸せ。
自分を捨てて他人の幸せのために生きることそれが幸せ。
これは自己犠牲とは全然違って、かえって自己が一番幸せになる道です。
しかも永遠の幸せへと至る道です。
目標は高いほうがいい。
どこまで行けるかわからなくても絶えず前進!
真理の教えを学び理解できたら、後はひたすらに実践するのみ。
一瞬も気を抜くな
気を抜くと怠惰や慢心、様々な煩悩に支配される。それらがやってきても支配されないように。心から追い出すのだ。
これがなかなか出来ないなどと言い訳していてもしょうがない。
絶えず神を想うこと、これが一番有効な道だ。
この世界はすべて神で出来ているのだから何をみても神を想うことは出来るはず、そのように見えなくてもそのように見ていくのだ。
訓練すればいい。訓練しつづければ、少しずつ出来るようになってくる。
このように生きれることを喜びとして毎日生きよう。
絶えず神を想って。
神も絶えず私を見ていて下さる。
振り向くことなく
振り向くことなく
さげすむことなく
善いものを喜び
悪いものを直し
倒れたら立ち上がり
心から笑い
泣くのはこらえ
涙が流れても
前を見て笑い
すべてに感謝し
涙をながし
自分のためには泣かず
人のために泣き
すべてに神を見て
すべてに奉仕し
恐れることなく
道を歩め。
君の心の中にある最高の理想
それが現時点での、神から与えられた使命だ。
それを遂行せよ。
妥協は要らない。
保証などいらない。
ただやるだけだ。
成功とか失敗とかは、後で考えればいい。
誰にも言い訳することなく
間違ったら修正し
倒れたら立ち上がり
ただ道を歩め
できるなら走れ。
走ると転びやすくなるが
めげずに立ち上がり、走れ。
血だらけになっても、走れ。
人生は短い。
ヨーガスクール・カイラス発行松川慧照エッセイ集2より
修行の日々
喜びに満ちた修行の日々を送っています。
全力で修行すると誓ってからもまだまだ怠惰が覗いたり、エゴが出たりもします。
でも神がいつも私を見ている。
いつも私を励ましてくれている。
だからそれに応えたい。
私を神の道具として使ってくださいとお願いしながら、エゴに占拠されていてはいけない。24時間心を浄化して神に誠実にあれるように。
神への愛を忘れないように。
ただ愛だけがあればそれでいい。
エゴを価値のないものを欲しがるけれど、私は神への愛だけがすべてである。
神その無限の愛によりすべての存在に無限の恩寵をもたらしてくれている。なのになぜこの恩寵をみんなうまくうけとれないんだろう。
それはこちら側の愛が足りないから・・・。
神への愛が足りないから。
神への愛はすべての衆生への愛、衆生への愛が足りないから。
だからもっと愛を大きくしたい。
修行して、人々を手助けして、もっと愛を大きくしよう。
愛は無限なのだから。
幸せ
幸せ
人生で一つだけ決まっていることがある。
それは必ず死ぬということ。
それはいつ来るかわからず、
そして仮に長生きしたとしても、数十年という短い時間しかない。
その残された短い時間を、どのようにいきたいのか。
みなの幸せのためにいきたい。
あるいは、ただ純粋な主の道具となりたい。
そう思える人は、幸せな人だ。
そこに答えがある。
ヨーガスクール・カイラス発行 松川慧照エッセイ集⑫より
役にたたないもの
憂いや悩みが何の役に立つのか。
何の役立たないどころか自分に対して害をなしているのに、なぜ憂いや悩みで心を暗くするのか。
心を明るくして心配や不安、怖れや憂いを振り払うことが最良のこと。
自分の心の中にあるものを見つめて、良いのもと悪いものを振り分けて悪いものを捨てていかなければならない。
そうしなければ同じことの繰り返ししなってしまう。そんなことを繰り返している時間はもうないと思って全力で自分の心を浄化しよう!
役に立たないものはさっぱり捨てよう。たくさん捨ててスッキリしてくれば、心はいつも明るくなる。
それが本当の自分、元々の歪みのない自分自身、平安と慈愛で光輝く心となる。
そこに至るためにはつまずいても、行き詰っても、倒れても、疲労困憊しても、前進し続けよう。
目的地には必ず到達するから。