六聯の金剛の詩
目にみえる現象は多様なあらわれを持っているけれど、
この多様さはもともと二元論の彼岸にある。
無限に多様なもののどれ一つとして、限りある概念のわくにおさまりきるものはない。
「これはこうだ」とか「それはああだ」と定義づけようとする罠から解き放たれるのだ。
そうすれば、すべての形あるあらわれは、
形を持たない無限がしめすさまざまな表情にすぎないし、
そこから切り離すこともできないから、
そのままで完全なものだということになる。
すべての始まりから、あらゆるものがそのままで完全だということがわかれば、
何かを達成しようとする努力は、すべて放棄される。
あるがままの自然な状態にとどまっているだけで、
不二の三昧の境地が自然に生じ続ける。
ナムカイノルブ著「虹と水晶」より
苦の因果
感覚によって、欲(渇愛)が生れる。
欲(渇愛)によって、求める。
求めることによって、(物を)獲得する。
獲得することによって、(価値を)判断する。
判断することによって、熱望と貪りが起こる。
熱望と貪りによって、執着する。
執着によって、所有欲が起こる。
所有欲によって、物惜しみが起こる。
物惜しみによって、(所有したものを)守る。
(所有したものを)守るがために、
闘争、喧嘩、非難、嘘など、あらゆる悪しき不善な諸現象が起こる。
長部経典
正しい行動を
汚れた心で行動したり話したりするなら、
苦しみはその人につき従う。
車を引く牛の足跡に車輪がついていくように。
清らかな心で行動したり話したりするなら、
幸せはその人につき従う。
影がその身体から離れないように。
ダンマパダ
内的な成長のために
時間はとどまることを知らない。時間は私たちの誕生の瞬間に始まり、絶えず変化しながら、やがて私たちを最後の瞬間、つまり死へと導く。これは私たちが生まれながらにして持っている本性であり、世界の本性である。精神の道を歩む人間にとって重要なことは、絶えず自分自身を調べ、精査し、人生の刻一刻をどのように生きているかを自分自身で知ることである。
ダライ・ラマ14世
完璧
この世界が、本当に、百パーセント、何の例外もなく、神の意志によって成り立っており、
神は真に、百パーセント、我々を愛してくださっているので、
この身に起きることはすべて、百パーセント、完璧であると、
真に確信することができるようになるまでは、
我々には不安や恐怖や失望や落胆がつきまとうようだ。
我々は無知なので、すぐにエゴの方をとってしまう。
自分で作った苦楽の檻に、目の前の現象を閉じ込めるな。
現象は神の愛なので、すべて完璧。
問題はこちら側の心。
これを真に受け入れるには大変な勇気が必要だが、
そのための訓練、手ほどき、リハビリを、
神は毎日、わにほどこしてくださっている。
この目が再び、神の姿を見ることが出来るように。
この体が再び、神の道具としてはたらけように。
ヨーガスクールカイラス発行 松川慧照エッセイ集より