修行の糧
修行の糧
運が悪かったとか
ああしてればよかったとか
そんなことを考えてはいけない
すべてはただ
一瞬一瞬全力の積み重ね
その結果として最悪の状況が生じたとしても
それがなんだというのだ?
たとえあなたが想定する最悪のことが起きたとしても
そんなことはたいしたことではない
良いことも悪いことも
すべては神の愛であり
修行の糧
良いことも悪いことも
エゴの想定内でも定義であり
すべてはただ至福に向かっている
しかしもし、できるだけ早くその至福に至りたかったら
全力であれ
素直であれ
誠実であれ
慈悲深くあれ
快活であれ
人の悪いところを見るな
人の批判をするな
言い訳をするな
真理を強く求め
何が起ころうともすべてに感謝し
常に喜びの心を持ち
成功にも失敗にもとらわれず
ただこの今に集中して
ただ今、なすべきことをなせ
ヨーガスクール・カイラス発行 『松川慧照エッセイ集⑧』より
まいた種が
まいた種が
芽となって出てきたのに
無明の眼には、それが敵に見える。
その芽を出すために頑張って種をまき、水をやってきたはずなのに
いざ芽が出てくると、それを芽と気づかず、敵とみる。
すべての現象を師と見るならば
この過ちは解消される。
すべては自らが、自らの成長のために
種をまき、出てきた芽。
それから逃げずに育て上げ
大きくなったら刈り取りなさい。
魂の成長という、真の収穫を得るのだ。
ヨーガスクール・カイラス発行 松川慧照エッセイ集⑦より
リハビリ
何があっても怒ることなく
何にもとらわれることなく
ただ皆の幸福を願い、
神への愛で心は満たされている。
それが本当の君なんだよ。
しかしなぜかそこから離れてしまった君のために
神はリハビリをほどこしてくださる。
心を動かされるような様々な現象は、
まさに神のリハビリだ。
聖典はそのためのテキスト。
テキストと片手に、よろよろと立ち上がって、
つらいリハビリに立ち向かおう。
主治医は「100パーセント治るから、心配は要らない」と
おっしゃってくださっているから。
ヨーガスクール・カイラス発行 松川慧照エッセイ集⑦より
純粋な見方
この世とあの世で経験する物事はすべて、自分自身の思いによって作り出された幻である。だが、こうした物事への執着が、さらに知覚を歪めるのだ。執着を捨てよ。そして、物事が実際に存在している通りに観察せよ。誰かに会うときはいつでも、あなたは、慈愛をたたえた微笑むようなまなざしで、彼らにお会いなさい。あなたは、人を傷つけようとする意志や欺こうとする思いをもつことを考えてもいけないのだ。他なるものを曼荼羅の諸尊が姿を変えて現れたものとみなすような、すなわち、あらゆる出来事を、“諸尊が演じるお芝居”であると解するような、あらゆる音をマントラやダラニとして聞くような、あらゆる思いを、空性を理解する智慧と一体化した大楽であるとみるような、純粋な見方を常に保持しなさい。これが密教的な生活の心髄である。 ―ダライラマ七世 ヨーガスクール・カイラス発行 松川慧照エッセイ集⑦より
こだわらない。とらわれない。聖を思う。
こだわらない。 とらわれない。 聖を思う。
こだわらない。
こだわらずに、一瞬一瞬、生まれ変わる。
一瞬前にもこだわらずに、一瞬一瞬最高のじぶんであろうとする。
これがまず第一になすべきことです。
そして、とらわれない。
過去に過ぎ去ったことには決してとらわれない。
別にこの世の楽しみを捨てろとはいわない。自然にもたらされた喜びは楽しんでかまわないが、
頭の中で、こうなりたいとか、こうでなきゃ嫌だというような、嫌悪にもとらわれない。
これが第二になすべきことです。
一瞬一瞬、こだわらずに最高の自分であろうとする。
そして、あらゆることにとらわれない。
そのうえで、あなたの好きな神・仏陀・聖者などのことをいつも考えて下さい。
まずはこれだけでも毎日続けたならば、とても自由で幸せになるでしょう。
松川慧照エッセイ集⑦『MEW』より