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  • 真理の言葉 聖者の言葉

2023.01.14

心の浄化

心は庭のようなもにである。
庭の土を耕し、肥料をやり、雑草を取り除き、植物に水をやることによって、よい花と果実を収穫することができる。
同様に、欲望、怒り、貪欲、誤謬見解、迷妄、プライドのような心の不純物を取り除き、「常に神を思うこと」という水を与えることによって、心の庭に献身の花を咲かせることができる。
雑草は雨季に成長し、夏になると消える。しかし雑草の根は地面の下に残っている。そして水がそそがれるとすぐに再び雑草は外に目を出す。
同様に
心の波が表面化し、そして消えたとしても、それは微細な種の状態でサンスカーラに内在され、そして内的、外的な刺激により再び表面化する。
心の庭が綺麗であるとき、雑草がなく、心が純粋であるとき、あなたは素晴らしい瞑想の果実を得ることができる。
したがって、まず最初に、心の不純物を取り除くことから始めなさい。

 スワミ,シヴァーナンダ (ヨガスクールカイラス日々修習する聖者の知恵より)
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2022.11.10

平常心

苦境に陥ったとき、
あるいは、重要なことをおこなうために緊張するとき、
「平常心!」とよく言いますが、
そもそもここでの緊張や苦しみは、エゴから来ている。

だからまず平常から、普段から
エゴを超えた、真我に集中することだ。
他者のために生きることだ。
神の道具として生きることだ。
なかなか難しくても、そのようにしようとする努力をするべきだ。

そして苦境に陥ったとき、
あるいは、重要なことをおこなうために緊張するとき、
普段から修習していた
「エゴを超えた、真我に集中すること」

苦境に陥ったとき、
あるいは、重要なことをおこなうために緊張するとき、
「平常心!」とよく言いますが、
そもそもここでの緊張や苦しみは、エゴから来ている。

だからまず平常から、普段から
エゴを超えた、真我に集中することだ。
他のために生きることだ。
神の道具として生きることだ。
なかなか難しくても、そのようにしようとする努力をするべきだ。

そして苦境に陥ったとき、
あるいは、重要なことをおこなうために緊張するとき、
普段から修習していた
「エゴを超えた、真我に集中すること」
「他のために生きること」
「神の道具として生きること」
を思い出すのだ。

それにより、君の意識は君の中の芯に返り
喜びを持って、緊張なく、なすべき事をなし、
苦境を乗り越えられるだろう。

ヨーガスクールカイラス発行『松川慧照エッセイ集⑧』より
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2022.09.29

私心なき行為

私心なき行為(カルマヨーガ)を通して、心は浄化される。そして心が清浄になったとき、その中に神叡智(ジュニャーナ)と、強い信仰心(バクティ)が生じる。
神の叡智は、自己の本質そのものである。しかし覆われているため、それはあらわれない。私心なき行為(カルマヨーガ)の目的は、この無知を除去することである。

最初に、あなたは神の叡智を得なくてはならない。神の叡智を得てから、この多様性の世界に戻って来たとき、人はすべてを以前と同じように見るだろうが、もはやその中の何ものにも愛着を覚えない。
神を悟った後では、世界は蜃気楼のようにしか見えない。その中に人を惹きつけるものは何もない。

  スワミ・サーラダーナンダ

ヨーガスクールカイラス発行『松川慧照エッセイ集8』より
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2022.09.14

ちょっとずつでも

少しずつでも、できることはやるできだ。
「私はだめだ」「どうせ変わらない」「それくらいのことは、やっても仕方ない」というプライドや卑屈さに陥らず、少しずつでも、泥臭くても、かっこ悪くても、できることはやるべきですね。

少しずつでも、自分を変えようと努力する。それは確かに少しの変化しかもたらさないかもしれない。しかし、それが数ヶ月、一年、数年と積み重ねられるなら、それをやらない人とやる人の差は大きくなる。そしてその蓄積は、あるリミットを超えた段階で大変革をもたらす。

だから少しずつでも、できることは努力していこう。

ヨーガスクールカイラス発行 『松川慧照エッセイ集3』より
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2022.09.10

今ここ

「今・この瞬間」に意識を集中させるのは
日々全力でいきることが必要だ。
ちゃらんぽらんな意識を排除して
なすべき事を全力でなす習性を身につける。
小さな事にこだわらず、くよくよせず
人の評価を気にすることなく、誠実に生き
成功も失敗も気にしない。
正しい教えを学び、心を教えで満たし
しかしまだ真理を悟っていないがゆえの空しさがある。
このような自分を作り上げつつ
「今・ここ」に意識を集中させるのだ。
そうでないと、「今・ここ」なんていうのも、ただの言葉であり、
余計な想念のひとつに過ぎなくなってしまう。

苦しみも喜びも神の愛としてただ受け入れ
なすべき事を全力でなし
誠実に生きる。そして無常の世の空しさを感じつつ
「今・ここ」に心を集中させたなら
歓喜とともに
世界は広がり
心は広がり
世界からも、非世界からも切り離されたようになる。

終わったことなど気にするな。
来るか来ないかわからない未来のことなど気にするな。
言い訳を用意せず、失敗を気にせず、
今目の前に与えられた神からの課題に全力でぶち当たり
「今・ここ」に心を固定せよ。

慢心が起きそうになったら、自分の器の狭さを思え。
嫉妬が起きそうになったら、自分の器の狭さを思え。
怒りが起きそうになったら、自分の慈愛のなさを思え。
恐怖が起きそうになったら、神の完全な愛を思え。
卑屈さが起きそうになったら、神の完全な愛を思え。

心を低俗な領域に固定せず、教えを学び、誠実に、全力で生きるのだ。

全力で走った後の頭が空っぽになったすがすがしさのように
神に意思を全力で生きる者には、簡単に空性の境地がやってくる。


ヨーガスクールカイラス発行 「松川慧照エッセイ集8」より

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