実践奇跡のコース 流しのコップの山と、世界を救う小さな許し
今日は不平不満に気づく一日にしようと思い
朝、キッチンに立った瞬間、流しに積み重なった家族のコップ。
「またこんなに……」「なんで私が片付けなきゃいけないの?」
不平不満が早速出たー
でもこれってきっと無意識で毎回思ってるかも………
「めんどくさい」「私ばっかり」
以前の私は、その思いをみつけたとしても必死で抑え込もうとするか、心の中で家族を裁判にかけるのに忙しくしていました。でも、最近はちょっと違う実験をしています。
この「イラッとした瞬間」こそが、私にとってに「許しの機会」、「世界を救う練習」なんだと気づいたからです。
「許し」とは、とての簡単にいうと自分の見方を聖霊に手放すこと
「私が世界を救う」なんて聞くと、特別な話のように思えるかもしれません。でも、私たちの目の前に広がっている世界は、すべて自分自身の心の映し出し(スクリーンの映像)です。
画面の映像をいくら拭き取ろうとしても、映写機(自分の心)の中にある「攻撃」や「不満」の手放しが進まなければ、同じようなイライラは形を変えて現れ続けます。
だからこそ、コップを見て「なんで私が」と思ったその瞬間に、こうやって心の中でつぶやいてみます。
「あ、また『私だけが被害者』っていうエゴのメガネをかけてたな」
「私は何も分かっていないから、このイライラも、間違った見方も、全部丸ごと聖霊にお預けします」
やり方は本当にこれだけです。
正しく委ねようと深刻になる必要もありません。「あーもう、全部まとめて持っていってください!」と、大雑把に段ボールに入れて渡してしまうくらいの感覚で十分なんです。
あなたにしか救えない世界がある
あなたの見ている現実を、愛と平和の視点に書き換えられるのは、その世界を認識している「あなた」しかいません。
「なんで私が」という小さな不満に気づき、それを手放して心がホッと温かくなるとき。
それは、あなた一人だけの解放にとどまらず、深いところでつながっている世界全体をちょっとだけ軽やかにしています。
毎日の面倒な家事も、本当はあなたを苦しめるためにあるのではなく、「ここにまだ手放せる誤解があるよ」と教えてくれる愛の機会。
今日も不満が出てきたら、「あ、世界を救うチャンスが来たな」とニッコリ笑って、どんどん聖霊の足元にポイポイ渡していきましょう。