奇跡のコース「シナリオはすでに書かれている」
長年「奇跡のコース」を付かず離れずで私なりに学んできましたが、以前は理解が難しかった様々なことがわかるようになってきました。オームチャンティングのおかげでしょうか。
『奇跡のコース』を読んでいると、「シナリオはすでに書かれている」とか「この世界はすでに終わった映画のようなものだ」という言葉に出てきますよね。
正直、最初にこれを聞いたとき、私は頭の中が「???」でいっぱいになりました。
今ではコースだけでなく「シナリオ」だといってる方々も多いですが。
それでは人生、もう全部決まってるってこと? 今こうやって一生懸命悩んだり、どっちにしようか選んだりしていることには何の意味もないの? と、なんだかモヤモヤしますよね。
でも、あるひとつの「例え」を思い浮かべてみたら、すごくすんなりと胸に落ちるのです。
それが「映画館」の例えです。
映画館で上映されている映画って、フィルムそのものはもう完成していて、結末まで全部決まっていますよね。
でも、そのスクリーンの中にいる主人公は、自分が映画の中にいるなんて知りません。だから「どうしよう!」「右に行こうか、左に行こうか」って、今この瞬間を真剣に悩んで、一生懸命に生きています。
一方で、客席に座ってその映画を見ている「本当の自分」は、こう知っているんです。
「ああ、いま主人公はすごく焦っているな。でも大丈夫、この映画の結末はもう平和に終わることが決まっているんだから」って。
コースが「シナリオはすでに書かれている」と言っていたのは、けっして私たちの努力や選択を無意味だと笑うためではなくて、「スクリーンの中にのめり込んで一喜一憂するのをやめて、そろそろ安心できる客席の視点に戻っておいで」という優しい招待状だったんだな、と気づきました。
ストーリーや起きてくる出来事そのものを、私たちが力づくで変える必要はありません。
私たちに残されている唯一の自由は、「その場面をどんな気持ちで見つめるか」ということです。
恐れや焦りを抱えてスクリーンにしがみついて見ることもできれば、「結末はもう大丈夫なんだ」という安心感とともに見守ることもできる。
「あ、また映画の中にのめり込んで、本気で焦っちゃってたな」と気づいたら、ただふっと深呼吸をして、客席のシートに座り直せばいい。
未来を無理に変えようと必死にならなくても、スクリーンを見つめる自分の「心」が安心に包まれれば、映し出される世界そのものが、驚くほど穏やかなものに変わっていくんだと思います。
あくまでも例えですがこんな感じです。これがわかれば真に幸せな自己としてこの世界を生き始めます。
起こる出来事や行動という外側の形が同じでも、内側の質が愛や安らぎであれば毎日幸せだと思いませんか。