すべては神の恩寵
私の好きなラーマクリシュナは「恩寵は絶え間ない雨のように降る」といい、彼の心は常に神に向いていました。
非二元の本を読んでいてこの彼の表現について書かれてました。以下少し引用します。
恩寵は常に降り注がれているのである。ひとたび、わたしたちがすべての命とひとつであるという、自身の真の性質に目覚めると、この世に恩寵でないものは何もないことに気づく。すべてが恩寵なのだ。
恩寵はわたしたちの内側にも、周囲にも、実に至るところに降り注がれている。わたしたちの真の性質は恩寵なのだ。わたしたちが誰であり、何であるのかは意識である。子供の頃に教えられたように、神はどこかある場所に、ある状態でおられるのではなく、あなたのまさに実体なのである。
意識は神なのだ。
神は意識なのだ。
「あなたのストーリーを棄てなさい」ジム・ドリーヴァーより
ここで言っていることがわかっても、日常でそうは思えなかったりしることもあるでしょう。
でもこれが真実だと思うなら、自分にとっての真実として決めることです。
“すべては神の恩寵だ”と自分で決める。そしてそのようにみる。そのようにいきる。
そうすれば体感、実感してきます。
すべての実相は神であり、愛です。
これが真実なのになぜわざわざ自分で決めてそのような見方をしていく必要があるのかと思うかもしれません。
でもそれは私達が無明だから、“すべては愛”ではないと決めてきたから。
しっかり決めなおす必要があるのですね。
いまいろんはスピリチュアルな情報があります。でも自分でそう生きるときめて実際日常で使われなければ知識にはなんの意味もありません。そして苦しみ続きます。
すべては神の恩寵、すべては神の愛、神の恩寵は絶え間ない雨のようにふる、この真実を生きはじめたときどんな感じがするか想像してみてください。
すべてはあなたの選択です。
ヘナハウス沙羅の樹より 光と愛を送ります