過ちは常にある
私たちは判断の間違いや過ちを犯すことは常にある。重要なことはそれをまた繰り返さないよう、また同じようなことに直面しなくてもいいようにそこから学ぶことだ。学んで教訓を得ていく、人間として霊的にも情緒的にも出来る限り成長すること、過去のカルマを解消していくこと、そのためにこの人生がある。
何かから逃げても、常に戻ってきて表面に出てくる。そこから何も学ばないでいると来世において戻って来る。
だからこの人生を通じて毎日毎日、人間として成長していこう。
神を求める
神を求めるって、救いや加護を求めるわけでなく、神を知りたい、お会いしたい、すべては神の顕現だと知っているけれどそれを真に悟りたい。
全身全霊で求め続けてれば、心のすべてを神に向け続ければ、応えてくださる。
そして神の愛がより多く吹き込まれれば、目覚めは加速して行く。
自らの意識を神に向けなければ、神の無限の愛を受け取ることもできず、知ることもできない。極端な言い方をすると自我の限定された愛しか知ることができないし、与えることができないわけだ。
神の愛の中で神の愛を与え、神の光の中で神の光を放射しよう。
それが目覚めた神の子の役割。生まれてきた理由。
求めよ、心のすべてを神に向けて。
カルマの法則
人の体、言葉、心からなる三つの行為(カルマ)のすべてにはその結果である果報がが生じる。
因果応報……原因のない結果はなく、結果のない原因もない。
善因善果、悪因悪果。
ならば人々に対し悪をなさず、出来る限り善をなそう。
心において、言葉において、行動において。
心一番が大切だ。
神と出会うチャンス
試練は呼びかけ、大切な呼びかけです。
本来の自分に還るための呼びかけ、心を大きく広げて自由に生きるための呼びかけ、愛を深めるための呼びかけ....
沙羅の樹での日頃の接客のなかで多くの人が試練にで会っているのを感じます。
試練のただなかでは苦しくつらいですが、安楽に安逸に生きているだけでは大きなステップアップはできないから。
人生には喜びがあり、悲しみがあり、苦悩がある。なぜ悲しみや苦悩があるのか、それを通して私たちの人生の本来の意義に近づくから....
神と出会うといくこと、大いなる自己に出会うといくこと。
苦しみはそのチャンスを与えてくれている。
そしてチャンスをものにしたとき、至福にいたる。
だから苦しみを喜びに、ピンチをチャンスに変換しよう。
愛ある人
愛ある人となろう。
愛はこの世界で唯一のエネルギー、愛は生命力。
愛ある人は、愛を与えます。
与えることは受け取ること。
愛を与えた人は、愛を生命エネルギーを受けとります。
だからって打算的に、自分が受けとり満たされるために与えるのは、真に愛ある人ではありません。他者の幸せのために尽くす気持ちで愛与えるのが愛ある人だ。
真に愛ある人になろう。
真に愛を与える人となろう。
それが至福に至る道。