ゆるしのレッスン4
出会う人すべては、忍耐について教えてくれる先生
今日は、神と同じように私にも無限の忍耐心があることを思いだす日にしましょう。忍耐心は愛の表現のひとつであることを思いだします。神は何分我慢すべきかストップウォッチで計ったりしないように、私もそうするのはやめます。
私達はあらゆる人間関係から、神について学ぶことが出来ます。自分の苛立ちを人間関係に投影し、他人にイライラしたり、責めたり、裁いたりすることはよくあります。
他人に忍耐強くなるための第一歩は、自分自身に対してなぜ忍耐強くないか、その理由を探ることかもしれません。
忍耐と学ぶことは神への近道の一つで日常生活の様々な場面で練習できます。
たとえば、急いでいるときに、前の車がのろのろ運転しているとイライラし、腹が立ったりしがちです。けれどもそんなときは、「前の車は忍耐を教えてくれる先生なんだ」と考えるのです。パートナーが自分の頼んだことを忘れた時も「忍耐の大切さを教えてくれている」と考えて愛することは出来ますし、子供がひどいいたずらをしたときも、怒鳴りつけたい衝動を抑えて「この子は忍耐を教えてくれる先生なんだ」と思ってみるのです。
スーパーのレジや銀行で長い行列が出来たらレジや窓口の人、そして並んでいる人たちを愛する機会だと考えてみましょう。
サンマーク出版「ゆるしのレッスン」より
このレッスンを実践していると、いかに日常で私にレッスンの機会を与えられているかがよくわかります。
「この人は私に忍耐を教えてくれる先生だ」と1日に何回も言いました。
誤解して頂きたくないのは、忍耐は我慢することではありません。我慢は自分の思いを押し込めること、忍耐は心を開き、心を変革し、心を広げることだと思います。
神は無限の忍耐をもっている・・・神は愛そのものであり、無限に広い心ということです。
そして私達も神と同じもので出来ています。自我・エゴから離れるとき、私達の内に輝く神の光、愛の光を見ることが出来ます。
日常で出会う「忍耐を教えてくれる出来事」「忍耐の大切さを教えてくれる先生」達も、私が私自身の愛に目覚めるために立ち現れています。すべての機会を学びとして生かすことができれば、どんどんと加速してあなた本来の無限の自己へと還っていきます。
沙羅の樹より 愛を込めて